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Girls 45

The Dixie Cups - Iko Iko / Gee Baby Gee

1965 USA Original 45rpm Record [RED BIRD/10-024]

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ニューオーリンズのローカル色を前面に押し出した土着的なサウンドと、それにマッチした湿り気のあるコーラス・スタイルが魅力となるR&B~ガール・グループ/ザ・ディキシー・カップスが、1965年3月にRED BIRDレーベルからリリースしたシングルです。

ジェリー・リーバー&マイク・ストーラー・プロデュースによる作品です。


Jerry Leiber & Mike Stoller

ビルボード・ホット100チャートで最高20位、ビルボード・R&Bチャートでも最高20位、USキャッシュボックスチャートで最高19位、UKシングルチャートで最高23位、カナダのRPMチャートで最高26位を記録しました。

1953年にジェイムズ・“シュガー・ボーイ”・クロフォードがヒットさせたニューオーリンズR&B古典曲「ジョッカモ」のカバーです。



ザ・ディキシー・カップスは、ニューヨーク市のレコーディング・スタジオでの予定外のジャムとして録音されました。スタジオにあったアルミ製の椅子、灰皿、コーラのボトルにドラムスティックを置いて即興バージョンの「アイコ・アイコ」の演奏を始めました。プロデューサーがトラックを編集し、バックボーカル、ベース、ドラムを曲に追加した後、作品は完成しました。ザ・ディキシー・カップスはホーキンス姉妹の祖母が歌う「アイコ・アイコ」を聞いて曲を覚えていましたが、この曲の起源についてはほとんど知らなかったため、原作者としてメンバーのバーバラ・アン・ホーキンス、彼女の妹のローザ・リー・ホーキンス、そしていとこのジョーン・マリー・ジョンソンの名前が作者としてクレジットされました。そして当然、ザ・ディキシー・カップスの「アイコ・アイコ」のヒットを聞いた作者のジェームス・クロウフォードによって訴えられますが、ザ・ディキシー・カップスは2つの楽曲が類似していることを否定し、この訴訟は1967年にクロフォードが「アイコ・アイコ」の著作者または所有権を主張しないという和解に至りました。ただし、米国で「アイコ・アイコ」がラジオ等で再生された場合には25%がクロウフォードに支払われています。2つの録音を比較すると、アレンジメントのテンポ、楽器編成、ハーモニーが異なっていますが、2つの曲の歌詞とメロディーが共通していることがわかります。さらに1990年代に、ザ・ディキシー・カップスの元マネージャーのジョー・ジョーンズとその家族は、1963年に「アイコ・アイコ」を書いたと主張して1991年に著作権登録を申請しました。そしてジョー・ジョーンズは北米以外で「アイコ・アイコ」の著作権を取得することに成功しました。それに対し、ザ・ディキシー・カップスはジョー・ジョーンズに対して訴訟を起こし、2002年3月6日、陪審は全会一致の評決で、ザ・ディキシー・カップスが「アイコ・アイコ」の唯一の作者であることを認め勝利しました。

上記のように泥臭い裁判沙汰が相次ぎ、ジェームス・クロウフィードが最も気の毒にも思いますが、それはさておき、ザ・ディキシー・カップスのバージョンは素晴らしい名作です。アフロ・ビート的なパーカッションのリズムと、ヘヴィーなベースのリズムのみをバックに、コーラスでハモる60's ガールズ・ポップ・クラシックス!

1972年にドクタージョンが「アイコ・アイコ」を取り上げていますが、それはオリジナルのジェームス・クロウフォードのバージョンを参考にしたそうです。



裏面はジェフ・バリー&エリー・グリニッチが書いた曲で、ポップでキャッチーなガールズ・ポップ・2サイダー!同年にザ・バタフライズ(The Butterflys)、翌年にザ・シスターズ(The Sisters)がカバーしています。


Jeff Barry & Ellie Greenwich




コンディション:VG(+)/VG(+)/WOL
マトリックス番号LS1082 / LS1024


アーティスト【ザ・ディキシー・カップス】



R&B~ガール・グループ。1963年にニューオーリンズで結成されたザ・メルトーンズ(The Meltones)を前身として活動。R&B歌手/作曲家/プロデューサーのジョー・ジョーンズに見出され、1964年にニューヨークのRED BIRDレーベルと契約に至る。デビュー作の「Chapel of Love」は全国的に大ヒットを記録し、以降も「People Say」や「Iko Iko」といったヒットをコンスタントに発表していく。1965-1966年にはABC PARAMOUNTレーベルにも録音あり。ニューオーリンズ録音によるローカル色を前面に押し出した土着的なサウンドと、それにマッチした湿り気のあるコーラス・スタイルが魅力となるグループです。