Skeeter Davis - (I Can't Help You) I'm Falling Too / No Never
1960 USA Original 45rpm Record [RCA VICTOR/47-7767]
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カントリーの殿堂グランド・オール・オープリーにも出演した本格カントリー歌手でもあり、ポップ・チャートでもヒット曲を出してメインストリームともクロスオーバーした白人女性カントリー、ポップ・シンガー/スキーター・デイビスが、1960年にRCA VICTORレーベルからリリースしたシングルです。チェット・アトキンス・プロデュースによる作品で、ビルボード・ホット100チャートで最高39位、カントリー・チャートで最高2位を記録しました。
Chet Atkins
ハンク・ロクリンが大ヒットさせたカントリーソング「プリーズ・ヘルプ・ミー、アイム・フォーリング」へのアンサーソングです。
「私もあなたに恋に落ちるのを止める事は出来ない」という歌詞で応えた内容です。ナッシュヴィルにあるRCA VICTORレコーディング・スタジオによる録音で、フロイド・クレイマーの演奏と思われる軽やかなピアノのメロディーに乗せて、しっとりとしたボーカルで歌い上げるポップ・カントリー・バラード・ナンバー。
Floyd Cramer
裏面はディヴィス自作によるポップ・ナンバーです。
コンディション:NM/NM マトリックス番号:L2 WW0158-12S A2 / L2 WW0160-3S A1 |
アーティスト【スキーター・デイビス】
アーティスト【スキーター・デイビス】
白人女性カントリー&ポップ・シンガー。1931年ケンタッキー州ドライリッジ生まれで、2004年に死去。本名 Mary Frances Penick 。40年代後半にディキシー・ヘイツ・ハイスクールに通う友人同士でザ・ディヴィス・シスターズ(The Davis Sisters)を結成して活動。1951年にFORTUNE, RCA VICTORレーベルと契約し、1953年に「I Forgot More Than You'll Ever Know」がカントリー・チャートでNo.1ヒットを記録。しかし活動もこれからという時期に自動車事故でメンバーを亡くし、意気も上がらないまま1956年にグループは解散。スキーター自身もそのままリタイアを決めていたが、1958年に復帰を決意し、アーネスト・タブやチェット・アトキンスの下で働く。そして幼少時のあだ名“スキーター”(蚊の俗語)・ディヴィス の芸名でRCA VICTORレーベルに録音した「Geisha Girl」がカントリーチャートでヒット。その後も「Set Him Free」、「Homebreaker」、「(I Can't Help You) I'm Falling Too」、「My Last Date (With You)」、「Where I Ought to Be」、「Optimistic」等を立て続けにヒットさせ、カントリーの殿堂グランド・オール・オープリーにも出演。そして遂に1963年には「The End of the World」がポップチャートでも大ヒットとなり、カントリーとのクロスオーバーに貢献している。その後も「I'm Saving My Love」、「Gonna Get Along Without Ya Now]がヒットし、[He Says the Same Things to Me」、「Sunglasses」、「What Does It Take」、「One Tin Soldier」の4曲が“ベスト女性カントリー歌手パフォーマンス”のグラミー賞にノミネート。また作曲家として提供した約70作品のうち「Set Him Free」と「My Last Date With You」の2作品がブロードキャスト・ミュージック・インク(Broadcast Music, Inc./BMI)による賞を受賞してる。本格的なカントリー歌手からポップ歌手としての成功を収めた彼女の様な音楽活動スタイルは、21世紀にはテイラー・スウィフト他に継承されていく先鞭をつけた。