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R&B 45

Sam Cooke - Twistin' The Night Away / You Send Me (Re-Issue)

1970s(1962&1957) USA Re-Issue 45rpm Record [RCA VICTOR/447-0566]

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多くのヒット曲とゴスペルやブルース、ジャズをルーツにした歌唱スタイルでソウル&ロックに多大な影響を与え、ジェームス・ブラウン、ジャッキー・ウィルソンと並ぶ3大ソウル・シンガーとして称えられるR&B~ソウル・シンガー、ソングライターのサム・クックが、1962年1月9日にRCA VICTORレーベルからリリースした作品の1974年正規リイシュー・シングルです。

ヒューゴ・ペレッチ&ルイージ・クリエートア・プロデュースによる作品です。


Sam Cooke with Hugo & Luigi

ビルボード・ホット100チャートで最高9位、ビルボード・R&Bチャートで最高1位を記録しました。

おそらくゲイリー・“U.S.”・ボンズの「クオーター・トゥ・スリー」を改良したサム自作によるツイスト・チューンで、邦題「ツイストで踊り明かそう」として知られる作品です。

録音は1961年12月18日にハリウッドのRCAスタジオで行われ、リーダーのルネ・ホールを中心に、ベースにレッド・カレンダー、ドラムにアール・パーマー、ギターにトミー・テデスコとクリフトン・ホワイト、ピアノにエド・ビール、ジョン・ケルソン、ジョン・ユーイング、ジュエル・グラント、サックスはスチュアート・ウィリアムソン、トランペットはスチュアート・ウィリアムソンらが参加しました。ロックンロール風情が満開のノリの良い楽曲+ハンドクラップ+コーラスが一体となった60's R&B・パーティーチューン!

有名無名含めてカバーが多数ある作品ですが、1972年のロッド・スチュワートによるカバーがビルボード・ホット100チャートで最高9位、R&Bチャートで最高1を記録する大ヒットとなりました。





裏面は、1957年9月7日にKEENレーベルからリリースした作品のカップリングです。

バンプス・ブラックウェル・プロデュースによる作品です。

ビルボード・ホット100チャートで1位、R&Bチャートで6週連続1位、英国シングルチャートで29位を記録しました。ロックンロールの殿堂から「500 モスト・インポータント・ロックンロール・レコーディング」の1曲に選ばれました。2010年4月、この曲はローリングストーン誌が選ぶ「ザ・500・グレーテスト・ソングス・オブ・オール・タイム」で115位にランクされました。リリースされて以来、この曲はソウルミュージックのランドマークとなっています。

サム自身が「ユー・センド・ミー」を書きましたが、自分のパブリッシャーに利益を得ることを望まなかった為、彼の弟であるL.C.クックに作家の功績を委ねました。また当初は、L.C.自身が自分で曲を録音することを望んでもいました。サムは1955年の冬に自分のギター伴奏のみをフィーチャーしたデモ録音を残しており、それは現在聴く事が出来ます。このトラックの最初の録音は、1956年12月に「ラバブル」と同じセッションでニューオーリンズで行われました。



スタジオ版の「ユー・センド・ミー」は1957年6月にロサンゼルスでカットされ、ボブ・キーンのKEENレーベルからのデビューシングルとして「サマータイム」のB面曲として準備されリリースされました。本来は「サマータイム」がA面として意図されていましたが、ディスクジョッキーは「ユー・センド・ミー」を好んでオンエアし、10月には全国的なヒットとなりました。1957年12月に2週間チャートに滞在し、150万枚は売り上げたと推定されます。サム・クックはこの一曲で、老若男女、黒人白人、男性女性を問わない聴衆から支持されるスーパースターとなりました。

「ユー・センド・ミー」は、長年に渡って数多くのカバーがあり、ここで特筆すべきは以下が挙げられます。

1957年、テレサ・ブリューワーのバージョンがポップシングルチャートで8位に達しました。



1968年、アレサ・フランクリンのバージョンがビルボードホット100チャートで56位、R&Bチャートで28位に達しました。



1971年、ポンデローザ・ツインズ・プラスワンのバージョンがベストセリングソウルチャートで23位に達しました。



1985年、ザ・マンハッタンズのバージョンがUSビルボードホット100チャートで81位、US R&Bチャートで20位、USトップ100ブラックシングル(キャッシュボックス)で11位、USジュークボックスプログラマR&Bチャート(キャッシュボックス)で6位、USアダルトコンテンポラリーチャート(ビルボード)で8位、カナダアダルトコンテンポラリーチャート(RPM)で11位、ニュージーランドで48位に達しました。



ジャマイカのジャッキー・オペルによるSKAカバーも秀逸です。



音圧が高く、原盤と比較しても圧倒的に音質が優位なプレスなので、その点おすすめです。特に「ユー・センド・ミー」はKEEN原盤では聴こえない音がクリアーに聴こえます。オリジナル・カンパニースリーブ付きです。

コンディション:NM/VG++/RI
マトリックス番号M5PW6001 5S / N2PW-1815- 4S


アーティスト【サム・クック】































Samuel "Sam" Cooke (January 22, 1931 Clarksdale, Mississippi, U.S. - December 11, 1964 Los Angeles, California, U.S.) R&B~ソウル・シンガー、ソングライター、音楽プロデューサー、レーベル・オーナー。R&B~初期ソウル大物中の大物で、ジェームス・ブラウン、ジャッキー・ウィルソンと並ぶ3大ソウル・シンガーとして称えられる。初期はザ・ソウル・スターラーズという有名なゴスペル・グループに在籍して活躍し、SPECIALTYレーベルに録音を残す。ゴスペル歌手としても絶大な人気を誇る最中、1956年にデール・クック(Dale Cook)という名義でポップ/R&B歌手に転向し、引き続きSPECIALTYレーベルで「Forever」 / 「Loveable」をソロで初録音する。1957年に同レーベルにて「I'll Come Running Back To You」がナショナルヒットを記録し、同年にKEENレーベルに吹き込んだ「You Send Me」が全国区で大ヒットとなり知名度も上がる。このKEENレーベルではティーン向けのポップスの他にも、大人向けのジャズ・ヴォーカル作品等も残している。1960年にRCA VICTORレーベルに移籍し、そこからは「Twistin' the Night Away」、「A Change Is Gonna Come」、「Cupid」、「Chain Gang」といったヒットを連発する。活動の中期から徐々にゴスペル色を強めた自己のスタイルを形成していき、活動後期の作品では、人種問題を示唆した作品も意識的に作り、公民権運動の最中に“ブラック・プライド”の自覚を促した。また自身でインディペンデント・レーベルSAR/DERBYレーベルを設立しており、TAMLA/MOTOWNレーベルよりも早い時期に、黒人音楽企業家となり先駆けとなった。そこではポピュラーミュージックの他に、原点であるゴスペルの録音も積極的に行い、文化の保存と継承にも尽力した。オーティス・レディングや、アレサ・フランクリン、ボビー・ウーマック、ダイアナ・ロス、カーティス・メイフィールドといった後のソウル・スター達もサムの歌唱スタイルと魂を受け継いでおり、あらゆる面で強い影響力を持った天才人物といえる。1964年にロサンジェルスのモーテルで管理人の女に発砲され、惜しくも33歳の若さで死去したが、不審な点が多く殺害の原因は未だに謎に包まれている。