Sam Cooke - Having A Party / Bring It On Home To Me (Re-Issue)
1970s(1962) USA Re-Issue 45rpm Record [RCA/447-0705]
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多くのヒット曲とゴスペルやブルース、ジャズをルーツにした歌唱スタイルでソウル&ロックに多大な影響を与え、ジェームス・ブラウン、ジャッキー・ウィルソンと並ぶ3大ソウル・シンガーとして称えられるR&B~ソウル・シンガー、ソングライター、サム・クックが、1962年5月8日にRCA VICTORレーベルからリリースした作品の1970's 正規リイシュー・シングルです。
ヒューゴ・ペレッチ&ルイージ・クリエートア・プロデュースによる作品です。
Sam Cooke with Hugo & Luigi
ビルボード・ホット100チャートで最高17位、ビルボード・R&Bチャート4位を記録しました。
クックがヘンリー・ウィンのツアー中に書かれた曲です。1962年4月26日にカリフォルニア州ハリウッドのRCA スタジオ1で録音されました。エンジニアはアル・シュミットで、セッションの指揮とアレンジはルネ・ホールが担当しました。ティーネイジ・ハウス・パーティーの雰囲気を描写したポップソングを、ハンドクラップとコーラスに乗せて楽しく仕上げた60's R&B・クラシックス!
アルバム『ライブ・アット・ザ・ハーレム・スクエア・クラブ・1963』では、ラストソングとして歌われており、盛大なパーティーを締めくくるラストソングとして非常に最高の終演模様でありました。
裏面は、ビルボード・ホット100チャートで最高13位、ビルボード・R&Bチャート2位を記録した両面ヒット盤です。ロックンロールの殿堂が選ぶ「ロックを形作った500曲」の1つとして認定されています。
クックが書いた曲で、当初は、歌手仲間のディー・クラークにオファーされたが、ディー・クラークは断ったとされています。曲はチャールズ・ブラウンとエイモス・ミルバーンによる1959年のシングル「アイ・ウォント・トゥ・ゴー・ホーム」を大幅に作り直したもので、ゴスペルのテイストでコール&レスポンスの形式を保っています。
英国のジ・アニマルズや、ゾンビーズほか、カバーも多数の人気作品です。
こちらもアルバム『ライブ・アット・ザ・ハーレム・スクエア・クラブ・1963』で披露していた作品のオリジナル・スタジオ・バージョンです。
両曲共にルー・ロウルズがコーラスで参加しています。
Lou Rawls
オリジナル・カンパニースリーブ付きです。オリジナル盤と同じスタンパーを使ったプレスで、音質が優れておりますのでおすすめです。
コンディション:NM/NM/RI マトリックス番号:N5PW1432-6S / N5PW1433-4S |
アーティスト【サム・クック】
Samuel "Sam" Cooke (January 22, 1931 Clarksdale, Mississippi, U.S. - December 11, 1964 Los Angeles, California, U.S.) R&B~ソウル・シンガー、ソングライター、音楽プロデューサー、レーベル・オーナー。R&B~初期ソウル大物中の大物で、ジェームス・ブラウン、ジャッキー・ウィルソンと並ぶ3大ソウル・シンガーとして称えられる。初期はザ・ソウル・スターラーズという有名なゴスペル・グループに在籍して活躍し、SPECIALTYレーベルに録音を残す。ゴスペル歌手としても絶大な人気を誇る最中、1956年にデール・クック(Dale Cook)という名義でポップ/R&B歌手に転向し、引き続きSPECIALTYレーベルで「Forever」 / 「Loveable」をソロで初録音する。1957年に同レーベルにて「I'll Come Running Back To You」がナショナルヒットを記録し、同年にKEENレーベルに吹き込んだ「You Send Me」が全国区で大ヒットとなり知名度も上がる。このKEENレーベルではティーン向けのポップスの他にも、大人向けのジャズ・ヴォーカル作品等も残している。1960年にRCA VICTORレーベルに移籍し、そこからは「Twistin' the Night Away」、「A Change Is Gonna Come」、「Cupid」、「Chain Gang」といったヒットを連発する。活動の中期から徐々にゴスペル色を強めた自己のスタイルを形成していき、活動後期の作品では、人種問題を示唆した作品も意識的に作り、公民権運動の最中に“ブラック・プライド”の自覚を促した。また自身でインディペンデント・レーベルSAR/DERBYレーベルを設立しており、TAMLA/MOTOWNレーベルよりも早い時期に、黒人音楽企業家となり先駆けとなった。そこではポピュラーミュージックの他に、原点であるゴスペルの録音も積極的に行い、文化の保存と継承にも尽力した。オーティス・レディングや、アレサ・フランクリン、ボビー・ウーマック、ダイアナ・ロス、カーティス・メイフィールドといった後のソウル・スター達もサムの歌唱スタイルと魂を受け継いでおり、あらゆる面で強い影響力を持った天才人物といえる。1964年にロサンジェルスのモーテルで管理人の女に発砲され、惜しくも33歳の若さで死去したが、不審な点が多く殺害の原因は未だに謎に包まれている。