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R&B 45

Ray Charles - It Should've Been Me / Am I Blue

1954 USA Original 45rpm Record [ATLANTIC/45-2106]

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50年代初頭から多くのヒット曲を放ち、“ブラザー・レイ”、“天才”、“ソウルの神様”等の愛称でも親しまれた、R&B~ソウル・シンガー、ソングライター、サックス&鍵盤楽器奏者、レイ・チャールズが、1954年にATLANTICレーベルからリリースしたシングルです。

アーメット・アーテガン・プロデュースによる作品です。


Ahmet Ertegun

ビルボード・R&Bチャートで最高5位を記録しました。

メンフィス・カーティスが書いた曲で、コメディーラップの雰囲気/ジャイブのスタイルで演奏され、チャールズは「素敵な女性」に夢中になったものの、その女性にはパートナーがいてがっかりしたというある出来事について語っており、チャールズとバックボーカルのジェシー・ストーン は、「自分はあの本当に素敵な女性たちと一緒であるべきだった」と言っています。チャールズは7歳のときから目が見えなかったにもかかわらず、曲の中で、自分は様々なものや様々な女性を見たと繰り返し述べています。

いわゆるノヴェルティー・ブルース曲ですが、ギタリストのミッキー・ベイカーをフィーチャーした真摯なR&B・ジャンプ・サウンドが魅力の名作です。


Mickey Baker

裏面はストリングス・オーケストラを配したポップ・バラードです。

<参加ミュージシャンと録音場所+日時>
Ray Charles - [It Should Have Been Me]
Jesse Drakes, trumpet; Sam Taylor, tenor sax; Dave McRae, baritone sax; Ray Charles, piano, vocal; Mickey Baker, guitar; Lloyd Trotman, bass; Connie Kay, drums.
NYC, May 17, 1953
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Ray Charles With Ralph Burns' Orchestra - [Am I Blue]
Bob Brookmeyer, valve trombone; Ray Charles, organ, vocal; Allen Hanlon, guitar; Wendell Marshall, bass; Ted Sommer, drums; unidentified woodwinds and strings, Ralph Burns, arranger, director.
NYC, May 6, 1959

コンディション:VG-/VG(-)
マトリックス番号:45-A-5571-2 / 45-A-5570-2


アーティスト【レイ・チャールズ】



















Ray Charles Robinson (September 23, 1930 Albany, Georgia, United States - June 10, 2004 Beverly Hills, California, United States) R&B~ソウル・シンガー、ソングライター、サックス&鍵盤楽器奏者、音楽プロデューサー、レーベルオーナー。R&B~ソウル界の大物で、愛称は“ブラザー・レイ”、“天才”、“ソウルの神様”。5歳の時に緑内障が原因で視力が低下し、7歳で盲目となる。15歳の1946年に母親を亡くし、友達の母親にフロリダ州ジャクソンヴィルで育てられる。間もなく同州オーランド~タンパに移住し、そこで初めてザ・フロリダ・プレイボーイズ(The Florida Playboys)というバンドに参加している。1947年に単身シアトルに移住し、 ロバート・ブラックウェルや、14歳のクインシー・ジョーンズらと交流を持つ様になる。そしてギタリストのG. D. マッキー(G. D. McKee)と、ベーシストのミルトン・ギャレット(Milton Garrett)と共にザ・マクソン・トリオ(The McSon Trio)を結成し、1949年にザ・マキシン・トリオ(The Maxin Trio)の名義でDOWN BEATレーベルに初録音した「Confession Blues」が初ヒットを記録した。同1949年にレイ・チャールズのソロ名義でSWING TIMEレーベルと契約し、「Baby Let Me Hold Your Hand」、「Kissa Me Baby」の2曲がヒットした。1952年にSITTIN' IN WITHレーベルとROCKIN'レーベルにもシングルを残し、同年にニューヨークに拠点を構えるアーメット・アーティガンのATLANTICレーベルに移籍する。初期はナット・キング・コールやチャールズ・ブラウン・スタイルのジャズやウェストコーストブルースを売りにしていたが、ATLANTIC入社後にはジャンプブルースやブギウギ、そしてゴスペルの要素を持ち込んだ独自のR&Bを展開。1953年に「Mess Around」がヒットした以降ヒットを連発し、1954年には歴史的名作の「I Got a Woman」を発表。様々な音楽要素をミクスチャーさせた新リズムは、1959年の「What'd I Say」に直結し、ソウルミュージックの先駆者として強い影響力を持つ事となる。1960年にはABC PARAMOUNTレーベルに移籍し、そこでは「Georgia On My Mind」や「Hit The Road Jack」、「Unchain My Heart」といったメインストリーム向けのR&Bをヒットさせていき、アメリカ国内だけに留まらず、世界的な成功を収めた数少ないR&Bスターとして有名になった。