Little Richard - Long Tall Sally / Slippin' & Slidin'
1956 USA Original 45rpm Record [SPECIALTY/572]
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50年代のSPECIALTYレーベル時代には数多くのヒット曲を放ち、ロックンロール時代を牽引した重要人物としても知られるR&B・シンガー、ピアニスト、ソングライター、リトル・リチャードが、1956年3月にSPECIALTYレーベルからリリースしたシングルです。
ビルボード・トップ100チャートで最高6位、ビルボード・R&Bチャートで8週連続1位を記録しました。ローリングストーン誌の「史上最高の500曲」で55位にランクされています。1999年にグラミーの殿堂入りを果たしました。
ロバート・"バンプス"・ブラックウェル、エノトリス・ジョンソン、リトル・リチャードによって書かれた曲です。レコーディング・セッションは1956年2月7日にニューオーリンズのJ&Mレコーディング・スタジオで行われました。このスタジオはコジモ・マタッサが所有しており、ランパート通りとデュメイン通りの角に位置し、ファッツ・ドミノやニューオーリンズの著名人の多くがレコーディングを行った場所です。リトル・リチャードの激しいブギーピアノが奏でる速いスタッカートでまっすぐな8分音符を弾き、ドラマーのパーマーは速いシャッフルを演奏しています。当時のR&B音楽はシャッフルが最も一般的なビートでしたが、リチャードは当時はあまり一般的ではなかったまっすぐな8分音符を加えました。これらが合わさって主たるリズムに曖昧さが生まれましたが、本作がヒットした以降はニューオーリンズR&Bやロックンロールの標準となっています。リトル・リチャードはFのキーで、自己中心的な楽しみについての歌詞を、生々しく攻撃的で爽快なスタイルで歌いました。
この曲は、パット・ブーンによるヒット(全米チャート18位)、エルヴィス・プレスリー、フリートウッド・マック、ザ・キンクス、ザ・ビートルズ等を含む何百人ものアーティストによってカバーされており、ロックンロールのスタンダード曲となりました。
裏面は、エディー・ボーの「アイム・ワイズ」を改作したニューオーリンズR&B・ロッカーとなる2サイダー盤です。
コンディション:NM/NM/WOL マトリックス番号:45-XSP-572 / 45-SP-572-1 |
アーティスト【リトル・リチャード】
Richard Wayne Penniman (December 5, 1932;Macon, Georgia - May 9, 2020;Tullahoma, Tennessee) R&B・シンガー、ピアニスト、ソングライター。黒人ロックンロールの王様。1951年にRCA VICTORレーベルからデビューし、1953年にはジョニー・オーティスの下でPEACOCKレーベルにも録音しており、初期はブルースを演奏。1955年に自身のロード・バンド/ジ・アップセッターズ(The Upsetters)を結成。R&Bシンガーでピアニストのエスケリータ(Esquerita)からヒントを得たという(真相は不明)、パンピン・ピアノと絶叫ヴォーカル、そしてポンパドール・ヘアとちょび髭をトレードマークにした、ロックンローラーへと転向しロサンジェルスのSPECIALTYレーベルと契約。同レーベルのA&R/バンプス・ブラックウェルの提案でニューオーリンズへ行き、現地の名門コジモ・マタッサ・スタジオで録音したロックンロールが爆発的にヒットを記録。「Tutti-Frutti」、「Long Tall Sally」、「Slippin' and Slidin'」、「Rip It Up」、「Ready Teddy」、「Heeby-Jeebies」、「The Girl Can't Help It」、「Jenny, Jenny」、「Keep A-Knockin'」、「Good Golly, Miss Molly」、「Ooh! My Soul」、「Baby Face」といった多くヒット曲を放ち、そのほとんどがロックンロールのスタンダードとなっている。2003年にはローリングストーン誌が選ぶ『100 Greatest Artists of All Time』で8位に選定。ジェームス・ブラウンからポール・マッカートニーにまで影響を与えた名歌手である。1957年に「ロックンロールは悪魔の音楽」だという理由で、人気の絶頂期に突如引退を表明し、アラバマ州のオークウッド大学に入学して神学を修め牧師となったが、1962年にMERCURYレーベルからR&B歌手として復活。以降は1963年にLITTLE STAR, ATLANTIC, CORALレーベルに録音し、1965年にVEE-JAYレーベル、1966年にOKEH, MODERNレーベル、1968年にBRUNSWICKレーベル、1970年にREPRISEレーベル等に録音を続け、2010年代以降も現役で活躍中であった。2020年5月9日に死去。