Johnny Horton - The Battle Of New Orleans / All For The Love Of A Girl
1959 USA Original 45rpm Record [COLUMBIA/4-41339]
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初期はザ・ロウリー・トリオというカントリーグループのメンバーとしてカントリーミュージック・シーンでも活躍した事で知られるカントリー、ロカビリー・シンガー、ギタリストが、1959年4月9日にCOLUMBIAレコードからリリースしたシングルです。
ビルボード・ホット100チャートで最高1位、ビルボード・カントリーチャートで最高1位、UKシングルチャートで最高16位を記録しました。アメリカ西部劇作家のメンバーが選ぶ「史上最高の西部劇100曲」の1つに選定されました。ビルボードは1959年のNo.1ソングとしてランク付けしました。1950年代後半から1960年代前半にかけて、主にロックンロール・ミュージックが主流だった時代にティーンエイジャーの間で非常に人気がありました。
1812年に起こった「ニューオーリンズの戦い」をモチーフにしたノヴェルティー・ナンバーで、アメリカ兵の視点からニューオーリンズの戦いを描いています。
The Battle Of New Orleans
曲のメロディーは、ニューオーリンズの戦いが起こった日付である、有名なアメリカのフィドル曲「1月8日」をベースにしています。
曲は戦いの物語を明るい調子で語り、実際に起こったことをかなりコミカルに描いたバージョンとなっています。軍隊の行進をイメージさせるオールドタイムなアメリカン・ミュージック風のユニークな60's ポップス・クラシックスです。
裏面はバラードです。
コンディション:VG+/VG+ マトリックス番号:ZSP45741-1H / ZSP45742-1K |
アーティスト【ジョニー・ホートン】
カントリー、ロカビリー・シンガー、ギタリスト。1925年カリフォルニア州ロサンジェルス生まれで、1960年にテキサス州ミラノで死去。初期はザ・ロウリー・トリオ(The Rowley Trio)のメンバーとして参加し、KWKH局の「ルイジアナ・ヘイライド」にも出演。1956年にCOLUMBIAレコードと契約し、「Honky-Tonk Man」がカントリーチャートで初ヒットした。以降は「I'm a One-Woman Man」「I'm Coming Home」「The Woman I Need」「All Grown Up」「When It's Springtime in Alaska (It's Forty Below)」を立て続けにヒットさせる。1959年には「The Battle of New Orleans」がポップチャートとクロスオーバーする大ヒットとなり、50年代全般に流行った“英雄物語”や“歴史的バラード”のセミ・フォーク歌手として人気を博している。翌年には「North to Alaska」も大ヒットし、人気も絶頂となった矢先の1960年11月5日に、ショウの帰り道に交通事故に合い35歳の若さで他界してしまう。