Chuck Berry - Maybellene / Wee Wee Hours (60's press)
1960s(1955) USA Original 45rpm Record [CHESS/1604]
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(ザ・ビートルズの)ジョン・レノンは「ロックンロールに別名を与えるとすれば“チャック・ベリー”だ」と述べている程に、ロックンロール音楽に強い影響を与えた最重要人物として知られるR&B・シンガー、ソングライター、ギタリスト/チャック・ベリーが、1955年にCHESSレーベルからリリースしたデビューシングルです。
ビルボード・トップ100チャートで最高5位、ビルボード・R&Bチャートで11週連続1位を記録したました。
マディー・ウォーターズの推奨もあり、1938年にボブ・ウィルズが発表したカントリー曲「アイダ・レッド(Ida Red)」の改作としてチャックがCHESSレコードに持ち込んだ作品で、当初のタイトルは原作通り「Ida Red」もしくは改良した「Ida May」となる予定でしたが、田舎っぽいという理由からタイトルを「メイベリン」に変更されたという経緯があります。チャックによると元々「アイダ・レッド」は、『ソルト&ペッパー・クラブ』と名づけられた人種統合されたクラブで人気のあるダンスチューンだったそうです。
エレキギターを手にしたチャック独特の軽妙なR&B感覚と、原作が持つカントリーの要素が絶妙な化学反応を起こし、ここに先駆的な「ロックンロール」が形成された事を示す歴史的な名作であります。
ローリング・ストーン誌は、「ロックンロールギターはここから始まった:若々しいテーマ、ギターがドライブするスモールコンボ、明確な発音法、そして容赦なく興奮した雰囲気」を持つレコードは、完全なロックンロール・パッケージの初期のインスタンスだったと高く評価しています。
CHESSレコードのレオナルド・チェスはブルースにはほとんど興味を示しませんでしたが、「黒人が歌うヒルビリーの歌」の商業的可能性には熱心だったそうで、歌詞もチェスの指示で書き直されました。「子供たちはビッグビート、車、そして若い恋を望んでいたし、それが世間のトレンドだったので、我々はそれに飛びついた」とチェスは回想しています。
田舎風のカントリースタイルとリズム&ブルースのビートの刺激的な融合は、1950年代半ばにロックンロールの出現を促進し、本作は黒人層にも白人層にも支持され、社会的にも「ロックンロール文化」の浸透を促しました。
録音はイリノイ州シカゴのユニバーサル・レコーディングスタジオで1955年5月21日に行われ、参加したミュージシャンは以下の通りです。
チャック・ベリー:ヴォーカル、ギター
ジョニー・ジョンソン(Johnnie Johnson):ピアノ
ウィリー・ディクソン(Willie Dixon):ベース
ジェローム・グリーン(Jerome Green):マラカス ※ボ・ディドリーのバンドでも活躍した人物
エビー・ハーディー(Ebby Hardy):ドラムス
メジャーアーティストによる録音だけでも70以上のカバーバージョンが確認されていますが、1955年のマーティー・ロビンス(COLUMBIAレコード)、1964年のジョニー・リヴァース(LIBERTYレコード)によるカバーは全米ポップチャートで最高12位を記録しているので特筆しておきます。
裏面はチャック自作によるブルースで、ビッグ・ジョー・ターナーの「ウィー・ベイビー・ブルース」からインスパイアを受けて完成したという作品です。
チャックは本作をCHESSレコードに持ち込むものの、前述のとおりレオナルドはブルースにはさほど関心を示しませんでしたが、流石はCHESSレコードらしい素晴らしいブルースに仕上がっている名作です。
エリック・クラプトンもカバーしています。
黒レーベルの1960年代初頭のプレスです。
コンディション:VG/VG マトリックス番号:CHESS 45-7844 4 / CHESS 45-7845 4 |
アーティスト【チャック・ベリー】
Charles Edward Anderson ""Chuck"" Berry (born October 18, 1926 St. Louis, Missouri, U.S. - March 18, 2017 Wentzville, Missouri, U.S.) R&B・シンガー、ソングライター、ギタリスト。ロックンロール。ジョン・レノンは「ロックンロールに別名を与えるとすれば“チャック・ベリー”だ」と述べている程にロックンロール音楽に強い影響を与えた最重要人物。1952年頃から地元やイースト・セントルイスのクラプで演奏を開始し、1953年にピアニストのジョニー・ジョンソンと出会い、ジョニーとコンビを組んで以降長く活動。1955年にCHESSレーベルと契約し、カントリー曲の「Ida Red」をロッキン・ブルース調にアレンジした「Maybellene」がスマッシュヒットを記録。以降も同レーベルで「Roll Over Beethoven」、「Johnny B Goode」等のヒットを連発し、それらのほとんどがロックンロールのスタンダートとなっています。しかし人気も絶頂の1959年12月に少女売春の容疑で逮捕され、1963年に釈放。誰もがカムバック後の再起は難しいと考えた最中、絶妙のタイミングでブリティッシュ・インベーション(ザ・ビートルズやザ・ローリング・ストーンズらのイギリス・ロックの台頭)が起こり、これら多くの英国ロック勢がチャックの作品を取り上げていた事から、オリジネーターである彼が再評価されて人気も再熱し、再びCHESSレーベルに録音を続けています。1966年にはMERCURYレーベルに移籍。