Bing Crosby - White Christmas / God Rest Ye Merry Gentlemen (w/PS)
1960(1942) USA Re-Issue 45rpm Record [DECCA/23778]
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1930~40年代にかけて活躍した20世紀を代表するポップ・シンガーで俳優でマルチ・エンターテナーのビング・クロスビーが、1942年にDECCAレーベルからリリースした作品の正規1960年リイシュー・シングルです。
全米ポップチャートで最高1位、R&Bチャートの前身のハーレムヒットパレードチャートで最高1位を記録し、世界中で推定5,000万枚以上のコピーを販売し「世界一売れたシングル」としてギネスブック2009年版から認定を受けた作品です。
アーヴィング・バーリンが作詞作曲をした作品で、1941年のクリスマスの日にNBCラジオ番組『ザ・クラフト・ミュージック・ホール』でビング・クロスビーによって歌われ、その後1942年5月29日、ジョン・スコット・トロッター管弦楽団とケン・ダービー・シンガーズをバックにわずか18分で録音され、そしてDECCAレーベルから7枚の78rpm・アルバムの一部としてリリースされた作品です。
カバーバージョンもメジャーアーティストだけでも500以上が確認されていますが、主要なところでは1942年のゴードン・ジェンキンスによるカバーが全米ポップチャートで最高16位を記録し、同じく1942年のチャーリー・スピヴァクによるカバーは全米ポップチャートで最高18位を記録し、さらに同1942年にフレディー・マーティンによるバージョンも全米ポップチャートで最高20位を記録するヒットとなっています。
1944年にはフランク・シナトラによるバージョンが全米ポップチャートで7位を記録し、1946年にはジョー・スタッフォードによるバージョンは全米ポップチャートで最高9位、1947年のエディー・ハワードのバージョンが全米ポップチャートで最高21位、同1947年のペリー・コモによるバージョンは全米ポップチャートで最高23位を記録しています。
1949年にR&Bグループ/ザ・レイヴンズによるカバーがR&Bチャートで最高9位を記録し、同年アーネスト・タブのカバーが全米カントリー&ウェスターンチャートで最高7位のヒットとなっています。
1952年にマントヴァニによるオーケストラ・インスト・バージョンが全米ポップチャートで最高23位となり、1954年にR&Bグループ/クライド・マクファッター&ザ・ドリフターズによるドゥーワップ・バージョンが全米R&Bチャートで最高2位を記録しています。
1963年、アンディー・ウィリアムスによるカバーが全米ポップチャートで最高1位、1968年、オーティス・レディングによるカバーがクリスマスシングルチャートで最高12位を記録しています。
1980年、ダーツによるカバーが全英シングルチャートで最高48位となり、1992年にはマイケル・ボルトンによるカバーが全米ポップチャートで最高73位となっています。
1995年、ガース・ブルックスによるバージョンは全米ホットカントリーシングルチャートで最高70位を記録し、1999年、マルティーナ・マクブライドによるバージョンが全米ホットカントリーシングルチャートで最高75位を記録しています。
2003年にはベット・ミドラーによるカバーが全米ホットアダルトコンテンポラリートラックチャートで最高15位、2009年にはアンドレア・ボセリによるカバーがポルトガルシングルチャートで最高16位となっています。
2011年、マルコ・メンゴーニによるカバーがイタリアンシングルチャートで最高13位を記録し、2018年にはグリー・キャストによるカバーが全英シングルチャートで最高98位のヒットとなっています。
裏面もクリスマスのスタンダード曲を取り上げたポップ・バラード作品です。
オリジナル・ピクチャースリーヴ付きです(保存状態は概ね良好です)。
コンディション:NM/NM/PS マトリックス番号:45 4374 76 / 45 3028 80 |
アーティスト【ビング・クロスビー】
Harry Lillis "Bing" Crosby, Jr. (May 3, 1903 Tacoma, Washington, U.S. - October 14, 1977 Holy Cross Cemetery, Culver City, California, U.S.) ポップ・シンガー、俳優、マルチ・エンターテイナー。1926年にポール・ホワイトマン楽団に歌手として在籍し活動。1927年にはホワイトマン楽団内で結成された男性3人組コーラスグループ/リズム・ボーイズの一員として活躍する。1931年にソロ歌手として歌った「I Surrender, Dear」がヒットしたのをきっかけに、ラジオ番組を持つ様になり人気を博す。1930年代当時、ラジオと共に普及し始めたマイクロフォンの増幅機能を活かして、声を張り上げず滑らかに発声する歌唱法「クルーナー・スタイル」を最初に確立した歌手としても知られる。1930年代に歌手としてトップスターの地位を確立したクロスビーは、その後映画にも進出し、第二次世界大戦前後の全盛期を通じて生涯で57本の映画に出演している。また歌手としては1942年にリリースした「White Christmas」が代表作品の他、数々のヒット曲を世に送り出し、生涯のレコード売上は4億枚を超えるといわれている。