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R&B 45

Sam Cooke - Nothing Can Change This Love / Somebody Have Mercy

1962 USA Original 45rpm Record [RCA VICTOR/47-8088]

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多くのヒット曲とゴスペルやブルース、ジャズをルーツにした歌唱スタイルでソウル&ロックに多大な影響を与え、ジェームス・ブラウン、ジャッキー・ウィルソンと並ぶ3大ソウル・シンガーとして称えられるR&B~ソウル・シンガー、ソングライターのサム・クックが、1962年9月11日にRCA VICTORレーベルからリリースしたシングルです。

ヒューゴ・ペレッチ&ルイージ・クリエートア・プロデュースによる作品です。


Sam Cooke with Hugo & Luigi

ビルボード・トップ100チャートで最高12位、ビルボード・R&Bチャートで最高2位を記録しました。

クックが書いたラヴ・ソングで、「この愛を変えうるものは存在しない」という力強い愛を歌った60's R&B~アーリーソウル・クラシックスです。

1962年8月23日にカリフォルニア州ハリウッドのRCAスタジオ1で録音され、ルネ・ホールが指揮しました。


Rene Hall

ライヴ・アルバム『ハーレム・スクエア・クラブ 1963』でも歌われていた一曲で、サビの部分でお聴きいただける歌詞「Wo-oh-oh, you're the apple of my eye, you're cherry pie And oh you're, you're cake and ice cream Oh you're sugar and spice, and everything nice You're the girl of my, my, my, my, dreams」は、スタジオ録音バージョンでも痺れます。



裏面もビルボード・ホット100チャートで最高70位、ビルボード・R&Bチャートで最高3位を記録した両面ヒットとなる、クック作によるブルースとなる2サイダーです。

元々は1962年4月に出されたアルバム『ツイスティン・ザ・ナイト・アウェイ』に収録されていた曲でした。



こちらもライヴ・アルバム『ハーレム・スクエア・クラブ 1963』で熱狂のパフォーマンスを披露していた作品のオリジナル・スタジオ・バージョン!



オリジナル・カンパニースリーブ付きです。

コンディション:NM/NM
マトリックス番号N5 PW3040-3S / N5 PW1416-3S


アーティスト【サム・クック】
































Samuel "Sam" Cooke (January 22, 1931 Clarksdale, Mississippi, U.S. - December 11, 1964 Los Angeles, California, U.S.) R&B~ソウル・シンガー、ソングライター、音楽プロデューサー、レーベル・オーナー。R&B~初期ソウル大物中の大物で、ジェームス・ブラウン、ジャッキー・ウィルソンと並ぶ3大ソウル・シンガーとして称えられる。初期はザ・ソウル・スターラーズという有名なゴスペル・グループに在籍して活躍し、SPECIALTYレーベルに録音を残す。ゴスペル歌手としても絶大な人気を誇る最中、1956年にデール・クック(Dale Cook)という名義でポップ/R&B歌手に転向し、引き続きSPECIALTYレーベルで「Forever」 / 「Loveable」をソロで初録音する。1957年に同レーベルにて「I'll Come Running Back To You」がナショナルヒットを記録し、同年にKEENレーベルに吹き込んだ「You Send Me」が全国区で大ヒットとなり知名度も上がる。このKEENレーベルではティーン向けのポップスの他にも、大人向けのジャズ・ヴォーカル作品等も残している。1960年にRCA VICTORレーベルに移籍し、そこからは「Twistin' the Night Away」、「A Change Is Gonna Come」、「Cupid」、「Chain Gang」といったヒットを連発する。活動の中期から徐々にゴスペル色を強めた自己のスタイルを形成していき、活動後期の作品では、人種問題を示唆した作品も意識的に作り、公民権運動の最中に“ブラック・プライド”の自覚を促した。また自身でインディペンデント・レーベルSAR/DERBYレーベルを設立しており、TAMLA/MOTOWNレーベルよりも早い時期に、黒人音楽企業家となり先駆けとなった。そこではポピュラーミュージックの他に、原点であるゴスペルの録音も積極的に行い、文化の保存と継承にも尽力した。オーティス・レディングや、アレサ・フランクリン、ボビー・ウーマック、ダイアナ・ロス、カーティス・メイフィールドといった後のソウル・スター達もサムの歌唱スタイルと魂を受け継いでおり、あらゆる面で強い影響力を持った天才人物といえる。1964年にロサンジェルスのモーテルで管理人の女に発砲され、惜しくも33歳の若さで死去したが、不審な点が多く殺害の原因は未だに謎に包まれている。