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Soul 45

Otis Redding - I've Been Loving You Too Long / I'm Depending On You

1965 USA Original 45rpm Record [VOLT/45-126]

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ヒット曲の数々で60年代のソウル・ミュージックを代表する様になり、“ザ・キング・オブ・ソウル”や“ビッグ・オー”といった愛称でも親しまれるR&B~ソウル・シンガー/オーティス・レディングが、1965年にVOLTレーベルからリリースしたシングルです。

スティーヴ・クロッパー・プロデュースによる作品です。


Steve Cropper

ビルボード・ホット100チャートで最高21位、ビルボード・R&Bチャートで最高2位を記録しました。ローリング・ストーン誌が選ぶ「ザ・500・グレーテスト・ソングス・オブ・オール・タイム」では第110位に選定されています。2003年に米国国立録音登録簿に追加されました。2011年、グラミーの殿堂入りを果たしました。

ジェリー・バトラーとオーティスが書いた曲で、ジェリー・バトラー&ジ・インプレッションズの「フォー・ユア・プレシャス・ラヴ」風のバラードです。


Jerry Butler



音楽評論家や作家による評価では、レディングの最高のパフォーマンスの一つであり、ソウルの古典であると考えられています。プロデューサーのスティーヴ・クロッパーのアルペジオギターとホーンセクションの豊かなサウンドに支えられ、レディングの哀願するようなボーカルが感情的に響くな名作です。

1969年にアイク&ティナ・ターナーによるバージョンは、ビルボード・ホット100チャートで68位、ビルボード・R&Bチャートで最高23位を記録しました。1971年に再発され、USキャッシュボックスのR&Bチャートで56位、レコードワールドのR&Bチャートで44位に達しました。



1992年にオーストラリアのミュージシャン、ディーゼルによるバージョンは、1993年11月29日にオーストラリアのARIAチャートで最高41位となりました。



1997年にエッタ・ジェームスがカバーしています。



裏面はアップテンポのサザン・ジャンプとなる2サイダー盤です。

<参加ミュージシャンと録音場所+日時>
Otis Redding [I've Been Loving You Too Long] [I'm Depending On You]
Wayne Jackson, Gene ""Bowlegs"" Miller, trumpet; Andrew Love, tenor sax; Floyd Newman, baritone sax; Isaac Hayes, Booker T. Jones, piano, organ; Steve Cropper, guitar; Donald ""Duck"" Dunn, electric bass; Al Jackson, drums; Otis Redding, Earl Sims, vocals.
Memphis, TN, July 9, 1965

コンディション:VG-/VG-/RW
マトリックス番号VLT-8826-21 57050 AT / VLT-8827-21 57050X AT

アーティスト【オーティス・レディング】






R&B~ソウル・シンガー。サザン・ソウル。1941年ジョージア州ドウソン生まれで、人気絶頂期の1967年12月10日に飛行機事故により他界。享年26歳。“ザ・キング・オブ・ソウル”や、“ビッグ・オー”といった愛称でも親しまれる、60年代のソウル・ミュージックを代表する大物歌手。最初期にはザ・ヴァインヴィル・バプティスト・クアイア(The Vineville Baptist Choir)というゴスペル・グループで教会で歌い、その後R&B歌手に転向し、リトル・リチャードのオリジナル・ロード・バンド/ジ・アップセッターズ(The Upsetters)の歌手としても活動。それから間もなくロックハウス・レデイLング(Rockhouse Redding)という芸名でソロ歌手となり、1960年にザ・シューターズ(The Shooters)というグループの歌手としてTRANS WORLD, FINE ARTSレーベルに初録音。その後はソロ名義でALSHIRE, GERLAND, CONFEDERATE, ORBITレーベルにも録音を残す。1962年にメンフィスのVOLTレーベルと契約し、「These Arms of Mine」がナショナルヒットを記録。1963年には名門「アポロ・シアター」にも出演し、シングル「Security」、「Mr. Pitiful」、「Chained And Bound」、「I've Been Loving You Too Long」、「Respect」等を続々とヒットさせ、1965年には名盤『Otis Blue: Otis Redding Sings Soul』を発表。同年にロサンジェルスの「ウィスキー・ア・ゴー・ゴー」にも出演して西海岸での人気も獲得。1966年に傑作バラード「Try a Little Tenderness」を録音し、1967年には カーラ・トーマス とデュエットしたアルバム『King & Queen』もヒットを記録し、その後にはヨーロッパ・ツアーにも行き大成功を収めている。1967年には「モンタレー・ポップ・フェスティバル」にも出演し、強烈なライヴ・パフォーマンスでロック・ファンへのアプローチにも成功。そんな人気絶頂の1967年末に、オーティス・レディングとバーケイズのメンバー5人、マネージャー及びパイロットを含む合計8名の乗った自家用飛行機「ビーチクラフトモデル18」が、次の公演地であるウィスコンシン州マディソンに向かう途中、濃霧で滑走路を見失い近くのモノナ湖に墜落。トランペットのベン・コーリーを除く7人が死亡。オーティスの死後に発表された新作「Dock of the Bay」は、オーティス自身にとって最大のヒットととなる皮肉な結果となった。ローリング・ストーンの選ぶ「歴史上最も偉大な100人のシンガー」に於いては第8位に選定。