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Soul 45

Marvin Gaye & Tammi Terrell - You're All I Need To Get By / Two Can Have A Party

1968 USA Original 45rpm Record [TAMLA/T-54169]

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60~70年代にかけて数多くのヒット曲を放ち、米国のブラック・ミュージックを代表するトップ・R&B~ソウル・シンガーとして知られる様になったマーヴィン・ゲイと、フィラデルフィア出身の女性R&B~ソウル・シンガー/タミー・テレルとのデュエット企画作として、1968年7月9日にTAMLAレーベルからリリースしたシングルです。

ハーヴェイ・フークア、ジョニー・ブリストル・プロデュースによる作品です。

ビルボード・ホット100チャートで最高7位、ビルボード・R&Bチャートで最高1位、キャッシュボックスチャートで最高7位、カナダのRPMチャートで最高10位、全英シングルチャートで最高19位、英レコードミラー・R&Bチャートで最高1位を記録しました。1968年のトップR&B・シングルかつロングセラーヒットの1つとなり、マーヴィン・ゲイのキャリアで最も成功したデュエット録音となりました。

ニコラス・アシュフォードとヴァレリー・シンプソンによって書かれた曲で、ソウルフルでゴスペル志向の強いテーマを帯びています。レコーディングは、1960年代のモータウン作品の中で、バッキングはデトロイト録音ではない曲の1つでした。マーヴィンとタミーのボーカルは、デトロイトのヒッツヴィルUSAスタジオで録音されました。


Nickolas Ashford & Valerie Simpson

録音の途中で、ゲイがテレルに自分の詩を歌うよう促し、アドリブで「Come On Tammi」と何度も言っているのが聞こえます。このレコーディングから1年後、ゲイはSTAXレコード所属のカーラ・トーマスとアポロシアターでこの曲を歌いましたが、ステージの最前列で車椅子に座っていたテレルが一緒に歌い始めたため、ゲイはステージを降りてテレルにマイクを渡して一緒にこの曲を歌いました。それがテレルが1970年3月に亡くなる前の最後のパフォーマンスでした。この曲はテレルの葬儀でプレイされ、ゲイは短く涙ながらに弔辞を述べています。

煌めくオープニングから、迫りくる爆発で聴衆の心を掴み、ゆっくりと展開する心のこもったビートの素晴らしいバラードと評される名作です。

1978年にジョニー・マティスとデニース・ウィリアムズによるデュエットは、ビルボード・ホット100チャートで第47位、ホット・ソウル・シングル・チャートで第10位、アダルト・コンテンポラリー・チャートで第16位、カナダのアダルト・コンテンポラリー・チャートで第5位、全英シングル・チャートで第45位に達しました。.

1971年にアレサ・フランクリンのバージョンは、ビルボード・ホット100チャートで19位、ホットソウルシングルチャートで3位を記録しました。


1975年にトニー・オーランド&ドーンのバージョンは、ビルボード・ホット100チャートで34位まで上昇し、また、アダルト・コンテンポラリー・チャートで13位、カナダでは55位まで上昇しました。

1995年のメソッド・マンとメアリー・J・ブライジによるシングル「アイル・ビー・ゼア・フォー・ユー/ユーアー・オール・アイ・ニード・トゥ・ゲット・バイ」のベースとなりました。



裏面は軽快なアップテンポのR&Bです。

コンディション:VG++/VG+/RW
マトリックス番号:A1-S1-K-U-441M10 A1-S1-K-U-441M10 ARP W4KM-4667-1 J / FD-IO-310M08 FD-IO-310M08 ARP UK4M-3704-1M


アーティスト【マーヴィン・ゲイ】



Marvin Gaye (April 2, 1939 Washington, D.C., U.S. - April 1, 1984 Los Angeles, California, U.S.) R&B~ソウル・シンガー、ソングライター、作曲家、音楽プロデューサー。20世紀の米国ブラック・ミュージックを代表する超大物。R&Bグループ/ザ・マーキーズ(The Marquees9で歌っているところを、ザ・ムーングロウスのハーヴィー・フークアによって見出される。以降ハーヴィーに同行して、活動の拠点をシカゴ、そしてデトロイトに移し、ザ・ムーングロウスにもメンバーとして参加し、CHESSレーベルで「Mama Loocie」を初録音する。同時期にチャック・ベリーの「Back in the U.S.A.」と「Almost Grown」にもコーラスで参加。そしてハーヴィーが立ち上げたTRI-PHIレーベルではスタジオミュージシャンとしてドラムを演奏していた1960年頃、モータウン社長のベリー・ゴーディーJr.と出会い、1961年にモータウン傘下のTAMLAレーベルより歌手としてソロデビューを果たす。当初はナット・キング・コール路線のジャズシンガーを目標としており、ポップアルバム『The Soulful Moods of Marvin Gaye』を制作するが不発に終わる。しかし間もなく、地元のR&Bシンガー/ディヴィッド・ラフィンの影響でシャウター型のR&Bシンガーに転向し、1962年の「That Stubborn Kinda Fellow」がナショナルヒットを記録してる。以降はソウルフルな歌声を武器に、「Hitch Hike」、「Pride and Joy」、「Can I Get a Witness」、「You're a Wonderful One」、「Once Upon a Time (with Mary Wells)」、「What's the Matter with You Baby (with Mary Wells)」、「Try It Baby」、「Baby Don't You Do It」、「What Good Am I Without You (with Kim Weston)」、「How Sweet It Is (To Be Loved by You)」、「I'll Be Doggone」、「Pretty Little Baby」、「Ain't That Peculiar」、「One More Heartache」、「Take This Heart of Mine」、「Little Darling (I Need You)」といった多くのチャートヒットを連発し、USソウル・ミュージック界を代表するスター歌手として知られる様になっている。1984年の4月1日、自宅で父親と口論になり、逆上した父親に発砲され銃殺されるという不幸な最後を遂げる。

アーティスト【タミー・モントゴメリー タミー・テレル】



Tammi Terrell (born Thomasina Winifred Montgomery; April 29, 1945 Philadelphia, Pennsylvania, U.S. - March 16, 1970 Philadelphia, Pennsylvania, U.S.) 女性R&B~ソウル・シンガー。後にモータウンでタミー・テレルとして有名になる女性シンガー。1960年、15歳の時にSCEPTERレーベルと契約しタミー・モンゴメリー(Tammy Montgomery)名義でデビューを飾る。1962年にはジーン・チャンドラーや、ジェームス・ブラウンの前座として歌い実力を認められ、ジェームス・ブラウンとは2年の間恋人関係でもあった。1964年にCHECKERレーベルと契約したものの、同時期にペンシルヴァニア大学に入学し、音楽シーンから一時セミリタイア。しかしジェリー・バトラーの勧めでナイト・クラブ歌手として歌手活動を継続し、20歳になった時に出演した1965年のデトロイト公演で、モータウンの社長ベリー・ゴーディーJr.の目にとまり、MOTOWNレーベルと契約し芸名をタミー・テレルとして新たにデビュー。その後はマーヴィン・ゲイとのデュエット曲「Ain't No Mountain High Enough」、「Ain't Nothing Like the Real Thing」、「You're All I Need to Get By」等で成功を収めている。1970年に脳腫瘍が原因で24歳の若さで他界。