David Seville - Witch Doctor / Don't Whistle At Me Baby
1958 USA Original 45rpm Record [LIBERTY/F-55132]
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- ¥1,400 JPY
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アルメリア系アメリカ人・作曲家、ピアニスト、俳優、音楽プロデューサー/ロス・バグダサリアンが、デイヴィッド・セヴィル&ザ・チップマンクス名義で、1958年4月にLIBERTYレーベルからリリースしたシングルです。
ビルボード・ホット100チャートで最高1位/3週、ビルボード・R&Bチャートでも最高1位、USキャッシュボックスチャートで最高1位、カナダのCHUMチャートで最高1位、UKシングルチャートで最高11位を記録しました。同年12月までにシングル140万枚のセールスを記録し、破産寸前だったLIBERTYレコードを救ったとされています。
曲は、本棚にあった『魔女の医者との決闘』というタイトルの本に触発されて書かれました。魔女の医者に、女の子に恋してしまったのでどうしたらよいかアドバイスを求めますが、魔女の医者は意味不明なセリフ「ウーイーウアア・ティンタン・ワラワラビンバン」と答えるという内容です。
バグダサリアンは、当時としてはかなりの金額である200ドルをテープレコーダーを購入し、彼と魔女医との対話を作成するために、自分自身のボーカルを異なる速度で録音するというアイデアを思いつきました。彼は通常どおり自分の声で歌い、次にバグダサリアン自身がゆっくりと歌いテープレコーダーに半分の速度で録音し、通常の速度で再生した「魔女の医者」の声で歌をオーバーダビングしました。バグダサリアンは、スタジオで録音する前に、一定期間このプロセスを実験しました。
この曲は制作・発売された当初はザ・チップマンクスではなく、上記のようにテープ早回し声は魔女の医者(ウィッチ・ドクター)でしたが、1960年のアルバム『シング・アゲイン・ウィズ・ザ・チップマンクス』でザ・チップマンクスによるグループ・バージョンとしてカバーされザ・チップマンクスの作品として定着していきました。
その後ザ・チップマンクスはカートゥーンでアニメ化され、バグダサリアンがプロデュースおよび監督を手掛けて1961年から1962年にかけてCBSで放映された『ジ・アルヴィン・ショウ(The Alvin Show)』として人気を博しました。
同年にイギリスでドン・ラングという歌手によるカバーバージョンがすかさず出されています。
1973年にはファンク・バンド/ザ・チュブコスによる「ウィッチ・ドクター」の続編作品がビルボード・ホット100チャートで最高117位まで上昇しました。
1998年にはデンマークのバンド/ザ・カートゥーンズによるバージョンがヨーロッパでチャートに昇り、多くの国でトップ40に達し、英国シングルスチャートで第2位に達しました。
裏面はブルージーなポップナンバーです。
コンディション:VG/VG マトリックス番号:45-LB-834 20998 / 45-LB-835 20999 |
アーティスト【ロス・バグダサリアン】
アルメリア系アメリカ人・作曲家、ピアニスト、俳優、音楽プロデューサー。1919年カリフォルニア州フレンソ生まれで、1972年1月16日にカリフォルニア州ビバリーヒルズにて死去。享年52歳。本名 Rostom Sipan "Ross" Bagdasarian 。キャリアの初めは舞台と映画の俳優だったが(初舞台は1939年)、1958年にデイヴィッド・セヴィルの芸名と、テープを早回しにしたシマリスのキャラクターであるアルヴィン&ザ・チップマンクス名義で「Witch Doctor」と「The Chipmunk Song (Christmas Don't Be Late) 」がヒットして有名になった。アルヴィン&ザ・チップマンクスはその後カートゥーン化され、バグダサリアンは1961年から1962年にかけてCBSで放映された『ジ・アルヴィン・ショウ(The Alvin Show)』をプロデュースおよび監督を手掛けている。また彼のいとこのウィリアム・サローヤン(William Saroyan)が共作し、1950年にケイ・アーメンが初吹き込み、1951年にローズマリー・クルーニーも吹き込んだ「Come On-A My House」の共同作者としても知られている。