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Sixties 45

The Seeds - Pushin' Too Hard / Try To Understand

1965 USA Original 45rpm Record [GNP CRESCENDO/GNP 372x]

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リード・ボーカルのスカイ・サクソンを中心に、1965年にロサンジェルスで結成されたロック・グループ/ザ・シーズが、1965年11月にGNP CRESCENDOレーベルからリリースしたシングルです。

ビルボード・ホット100チャートで最高36位、カナダのチャートで最高44位を記録しました。1994年にロックンロールの殿堂の学芸員がロック評論家や歴史家とともに選定した「ロックンロールを形作った500曲」のリストの一曲として殿堂入りしました。デイヴ・マーシュは、1989年の著書『The Heart Of Rock & Soul: The 1001 Greatest Singles Ever Made』の中でこの曲を選びました。2003年、Qマガジンの特別編集号の中で特集された「史上最高の1001曲」というリストで486位にランクしました。2014年、ペースト・マガジンの「史上最高のガレージ・ロック・ソング・50曲」のリストで16位にランクされました。

ボーカリストのスカイ・サクソンによって書かれた曲で、サクソンは、車の前部座席に座ってガールフレンドがスーパーで食料品の買い物を終えるのを待っているときに本作を書きました。主人公がガールフレンドに自分を支配しないように警告していると解釈することもできますし、または社会全体に対する暴言として解釈することもできます。また、一部のラジオ局は、タイトルが違法薬物の密売者を扱っていると邪推し、この曲を放送禁止にしました。

レコーディングは1965年9月14日にロサンゼルスのハリウッドにあるユナイテッド・ウェスタン・レコーダーズで行われ、サクソンが曲をプロデュースしました。ハーヴェイ・シャープがベースを演奏し、ダリル・フーパーが弾くエレクトリック・ピアノ・ソロと、ジャン・サヴェージが弾くギター・ソロをフィーチャーしています。「プッシン・トゥー・ハード」はグループの代表曲となり、彼らの音楽スタイルのテンプレートとなりました。

プロト・パンク、ガレージ・ロック・クラシックスとして最高の評価を得る名作中の名作です。1972年にELEKTARレーベルからリリースされたV.Aコンピレーション・アルバム『Nuggets: Original Artyfacts From the First Psychedelic Era 1965-1968』に収録されています。



映画やCMといったメディアで使われる事も多く、映画では1990年の『Air America』、1992年の『976-Evil II』、1997年の『Wild America』、2004年の『Easy Rider (expanded edition)』等に挿入され、2012年にはNIKEのコマーシャル『Game On, World』でも使われました。

裏面も同様にサイケデリック色の強いロック・ナンバーです。

コンディション:VG/VG
マトリックス番号N3165 1H / N-3220 1H


アーティスト【ザ・シーズ】













ロック・グループ。ガレージ・ロック、アシッド・ロック、フリークビート。リード・ボーカルのスカイ・サクソン(Sky Saxon)を中心に、1965年にロサンジェルスで結成された。バンドはロサンジェルスのクラブ「Bido Lito」で定期的にライブを開催し、高エネルギーのライブ・パフォーマンスで地元の評判をすぐに得る事となる。キーボードのダリル・フーパー(Daryl Hooper)は、バンドが奏でるサウンドの主要な要素だった。バンドはキーボード・ベースを用いた初期のバンドの1つだった。ギタリストのジャン・サヴェージ(Jan Savage)と、ジェレミー・レヴィン(Jeremy Levine)はドラマーのリック・アンドリッジ(Rick Andridge)と共に元のクインテットを結成させたが、レヴィンは個人的な理由から、最初の録音セッションの直後にバンドを脱退した。スカイ・サクソンは通常、ベース・プレイヤーとして認められていたが、バンドの録音のいずれでもベースを演奏しなかった。これは通常、スタジオのセッション・ミュージシャンハーヴィー・シャープ(Harvey Sharpe)によって処理さた。ステージでは、キーボードのダリル・フーパーが、後にザ・ドアーズでレイ・マンゼアク(Ray Manzarek)がやったのと同じように、ベースのパートを別のベースキーボードで演奏する事によってまかなった。録音はGNP CRESCENDOレーベルにあり、1966年に「Pushin 'Too Hard」が全国区のヒットとなる。バンドのの主要な転換点は1967年であり、オリジナルの3rd.アルバム『Future』は、より幻想的な芸術的なアプローチとなり、アメリカのポップカルチャーや音楽史の中でおそらく最も創造的で実験的な時期に、リーダー的な存在としてグループを推し進めている。オーケストレーションを伴うより広範な音楽スタイル - 画家サッシンによる華やかな花をテーマにしたアートワークを特色にしたゲートフォールド・スリーブで発表されたこのアルバムは、以前のヒット曲よりも遥かに元気だったが、ファンや評論家の注目を集めた。“フラワー・パワー”や“サイケデリック”は、今日のジャンルの好奇心の部分であり、本格的なサイケデリック・ロックの先駆的な試みと見なされている。