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R&B 45

Ray Charles - This Little Girl Of Mine / A Fool For You

1955 USA Original 45rpm Record [ATLANTIC/45-1063]

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50年代初頭から多くのヒット曲を放ち、“ブラザー・レイ”、“天才”、“ソウルの神様”等の愛称でも親しまれた、R&B~ソウル・シンガー、ソングライター、サックス&鍵盤楽器奏者、レイ・チャールズが、1955年にATLANTICレーベルからリリースしたシングルです。

アーメット・アーテガン・プロデュースによる作品です。


Ahmet Ertegun

ビルボード・R&Bチャートで最高9位を記録しました。

チャールズが書いた曲で、1920年代のアフリカ系アメリカ人の歌である「ディス・リトル・ライト・オブ・マイン」に基づいています。チャールズの前シングルの「アイヴ・ゴット・ア・ウーマン」や後作の「ハレルヤ・アイ・ラヴ・ハー・ソー」が他の古典的なゴスペル賛美歌をアレンジした手法とよく似ています。チャールズは、神聖な歌詞を世俗的なブルースの歌詞に置き換え、コーラスのコール&レスポンスのハーモニーをフィーチャーして編曲しています。ドラムのシンコペーション・リズムも特徴的ですので、ラテン系のR&Bがお好きな方にもおすすめです。

1958年にジ・エヴァリー・ブラザーズによるカバーが、全米ポップチャートで最高26位に達しました。

裏面もチャートヒットしており、ビルボード・R&Bチャートで最高9位を記録したチャールズ作によるブルース・バラードです。

<参加ミュージシャンと録音場所+日時>
Ray Charles - [Heartbreaker]
Jesse Drakes, trumpet; Sam Taylor, tenor sax; Dave McRae, baritone sax; Ray Charles, piano, vocal; Mickey Baker, guitar; Lloyd Trotman, bass; Connie Kay, drums.
NYC, May 17, 1953
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Ray Charles With Ralph Burns' Orchestra - [Just For A Thrill]
Bob Brookmeyer, valve trombone; Ray Charles, organ, vocal; Allen Hanlon, guitar; Wendell Marshall, bass; Ted Sommer, drums; unidentified woodwinds and strings, Ralph Burns, arranger, director.
NYC, May 6, 1959

コンディション:VG-/VG-/RW
マトリックス番号:45-A-1514-4 / 45-A-1513-4


アーティスト【レイ・チャールズ】



















Ray Charles Robinson (September 23, 1930 Albany, Georgia, United States - June 10, 2004 Beverly Hills, California, United States) R&B~ソウル・シンガー、ソングライター、サックス&鍵盤楽器奏者、音楽プロデューサー、レーベルオーナー。R&B~ソウル界の大物で、愛称は“ブラザー・レイ”、“天才”、“ソウルの神様”。5歳の時に緑内障が原因で視力が低下し、7歳で盲目となる。15歳の1946年に母親を亡くし、友達の母親にフロリダ州ジャクソンヴィルで育てられる。間もなく同州オーランド~タンパに移住し、そこで初めてザ・フロリダ・プレイボーイズ(The Florida Playboys)というバンドに参加している。1947年に単身シアトルに移住し、 ロバート・ブラックウェルや、14歳のクインシー・ジョーンズらと交流を持つ様になる。そしてギタリストのG. D. マッキー(G. D. McKee)と、ベーシストのミルトン・ギャレット(Milton Garrett)と共にザ・マクソン・トリオ(The McSon Trio)を結成し、1949年にザ・マキシン・トリオ(The Maxin Trio)の名義でDOWN BEATレーベルに初録音した「Confession Blues」が初ヒットを記録した。同1949年にレイ・チャールズのソロ名義でSWING TIMEレーベルと契約し、「Baby Let Me Hold Your Hand」、「Kissa Me Baby」の2曲がヒットした。1952年にSITTIN' IN WITHレーベルとROCKIN'レーベルにもシングルを残し、同年にニューヨークに拠点を構えるアーメット・アーティガンのATLANTICレーベルに移籍する。初期はナット・キング・コールやチャールズ・ブラウン・スタイルのジャズやウェストコーストブルースを売りにしていたが、ATLANTIC入社後にはジャンプブルースやブギウギ、そしてゴスペルの要素を持ち込んだ独自のR&Bを展開。1953年に「Mess Around」がヒットした以降ヒットを連発し、1954年には歴史的名作の「I Got a Woman」を発表。様々な音楽要素をミクスチャーさせた新リズムは、1959年の「What'd I Say」に直結し、ソウルミュージックの先駆者として強い影響力を持つ事となる。1960年にはABC PARAMOUNTレーベルに移籍し、そこでは「Georgia On My Mind」や「Hit The Road Jack」、「Unchain My Heart」といったメインストリーム向けのR&Bをヒットさせていき、アメリカ国内だけに留まらず、世界的な成功を収めた数少ないR&Bスターとして有名になった。