Dion & The Belmonts - Where Or When / That's My Desire
1959 USA Original 45rpm Record [LAURIE/3044]
- Preço normal
- ¥800 JPY
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ディオン・ディムッチが在籍し、50年代後半のホワイト・ドゥーワップのブームを引率した事でも知られる、ニューヨーク・ブロンクス出身のポップ・コーラス~ホワイト・ドゥーワップ・グループ/ザ・ベルモンツが、1959年にLAURIEレーベルからリリースしたシングルです。ビルボード・ホット100チャートで最高3位を記録しました。
1937年のミュージカル『ベイブス・イン・アームス』に挿入された曲「ホエア・オア・ホエン」のカバーです。
上質なオーケストラ・サウンドの演奏をバックに、ドゥーワップ・コーラスではなく、ジャジーなコーラス・スタイルでスムースにハモる洗練されたポップ・バラード作品です。
ディオンは10代半ばからヘロイン中毒の問題を抱えており、ちょうど本作がヒットしたグループ成功の絶頂期に彼の薬物依存は悪化し病院でデトックスを行いました。さらにディオンとザ・ベルモンツのメンバーとの間には経済的および音楽的な違いがありました。ディオン自身の言葉によると「彼ら(ザ・ベルモンツ)はハーモニーにのめり込みたがっていたが、私はもっとロックンロールをやりたかったのです。レーベルは私にスタンダードをやらせたがったが、私はすぐに飽きてしまった」。そして1960年10月にディオンはザ・ベルモンツを脱退し、ソロになり「ラナラウンド・スー」をヒットさせました。
裏面はR&Bグループ/ザ・チャネルズが1957年に発表した作品のカバーです。こちらは純然たるドゥーワップで、R&Bボーカル・グループでも最高峰のテクニックを誇るザ・チャネルズのスタイルを上質に模しており、ザ・ベルモンツの技術力の高さに思わず舌を巻く名演がお聴きいただけます。
コンディション:VG/VG/RW マトリックス番号:ZTSP62360-2J / ZTSP62361-2J |
アーティスト【ディオン・ディムッチ】
ポップ・シンガー、ソングライター。1939年ニューヨーク州ブロンクス生まれのイタリア系アメリカ人。本名 Dion Francis DiMucci 。1957年にホワイト・ドゥーワップ・グループ、ザ・ベルモンツ(The Belmonts)を結成し、1957年MOHAWKレーベルに初録音後、その後LAURIEレーベルと契約し、「I Wonder Why」や「A Teenager In Love」といった一連のヒットを放つ。グループ内でも際立った存在感でアイドル的な人気を博していき、1960年には遂にソロ歌手に転向する(ザ・ベルモンツは引き続き活動を継続している)。ザ・ベルモンツ在籍時と同じくLAURIEレーベルで、アーニー・マレスカとの競作による「Runaround Sue」や、「The Wanderer」といったロックンロール・ナンバーを多数ヒットさせた。1962年にはCOLUMBIAレーベルに移籍し、「Ruby Baby」、「Dnna the Prima Donna」、「Drip Drop」をヒットさせている。ザ・デル・サテンズ(The Del Satins)は、主にディオンの専属コーラス隊として、多くのセッションでコーラスを担当した。初期のザ・ベルモンツ時代にはホワイト・ドゥーワップのブームを引率し、60年代初頭には歌って作曲してプロデュースもこなす、シンガー・ソングライターの先駆けとしても功績を残した名アーティストである。
アーティスト【ザ・ベルモンツ】
ホワイト・ドゥーワップ・グループ。1957年にニューヨーク・ブロンクスで結成され、グループ名はブロンクス通りから由来。ソロ歌手としても有名になる、ディオン・ディムッチが1958-1960年の間にリード・シンガーとして在籍。その為ディオン&ザ・ベルモンツ表記も有り。1957年MOHAWKレーベルに初録音後、LAURIEレーベルと契約。そして「I Wonder Why」や「A Teenager In Love」等のヒットを放ち、ホワイト・ドゥーワップのブームの中核を担う存在となる。1960年にはディオンがソロ歌手に転向する為、グループを脱退する。1961年にSABRINAレーベルと契約し、1961年に「Tell Me Why」がヒットした以降、1963年まで計6枚のシングルを中ヒットさせている。