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Oldies 45

Dion - Runaround Sue / Runaway Girl

1961 USA Original 45rpm Record [LAURIE/3110]

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ホワイト・ドゥーワップ・グループ/ザ・ベルモンツで人気を博した事でも知られるポップ・シンガー&ソングライター/ディオン・ディムッチが、1961年9月にLAURIEレーベルからリリースしたシングルです。

ビルボード・ホット100チャートで2週連続1位、ビルボード・R&Bチャートで最高4位、UKシングルチャートで最高11位を記録しました。ローリングストーン誌が選ぶ「ザ・500・グレーテスト・ソングス・オブ・オール・タイム」で第342位に選定されています。2002年にディオンは本作でグラミー殿堂入りを果たしました。日本では邦題を「浮気なスー」としても知られています。

アーニー・マレスカと共作した楽曲で、ゲイリー・“U.S.”・ボンズの「クオーター・トゥ・スリー」からインスピレーションを受けているとディオン自身が自叙伝で語っています。歌詞は浮気者のスーという女性についてで、関係を持ちそうな男性への警告が含まれています。ディオンが某テレビ番組でのインタビューで発言した情報によると、彼の妻の名前はスーザンで、このスーとは彼の妻の事であった可能性が示唆されています。


Ernie Maresca

録音は1961年の夏にニューヨークのベル・レコーディング・スタジオによるセッションで、ティーチョ・ウィルトシャー(ピアノ)、バディー・ルーカス(サックス)、ミッキー・ベイカー(ギター)、バッキー・ピッツァレリ(リズムギター)、ミルト・ヒントン(ベース)、パナマ・フランシス(ドラムス)らの錚々たるミュージシャンが参加しています。コーラスにはザ・デル・サテンズが参加しており、そのパワフルなコーラスは本作の特色をより鮮やかなものにしている重要な存在となりました。

1977年に当時15歳のレイフ・ギャレットによるカバーがビルボード・ホット100チャート13位に達しました。



1980年にイギリスのグループ、レイシーによるカバーがUKシングルチャートで最高13位に達しました。



また1961年にはガール・グループ/ジンジャー・ディヴィス&ザ・スナップスによるアンサーソング「アイム・ノー・ラン・アラウンド」がSWANレーベルから発表されています。



裏面はポップ・バラード作品です。

コンディション:VG(-)/VG(-)/RW
マトリックス番号:ZTSP69412-2A / ZTSP69413-1H


アーティスト【ディオン・ディムッチ】





ポップ・シンガー、ソングライター。1939年ニューヨーク州ブロンクス生まれのイタリア系アメリカ人。本名 Dion Francis DiMucci 。1957年にホワイト・ドゥーワップ・グループ、ザ・ベルモンツ(The Belmonts)を結成し、1957年MOHAWKレーベルに初録音後、その後LAURIEレーベルと契約し、「I Wonder Why」や「A Teenager In Love」といった一連のヒットを放つ。グループ内でも際立った存在感でアイドル的な人気を博していき、1960年には遂にソロ歌手に転向する(ザ・ベルモンツは引き続き活動を継続している)。ザ・ベルモンツ在籍時と同じくLAURIEレーベルで、アーニー・マレスカとの競作による「Runaround Sue」や、「The Wanderer」といったロックンロール・ナンバーを多数ヒットさせた。1962年にはCOLUMBIAレーベルに移籍し、「Ruby Baby」、「Dnna the Prima Donna」、「Drip Drop」をヒットさせている。ザ・デル・サテンズ(The Del Satins)は、主にディオンの専属コーラス隊として、多くのセッションでコーラスを担当した。初期のザ・ベルモンツ時代にはホワイト・ドゥーワップのブームを引率し、60年代初頭には歌って作曲してプロデュースもこなす、シンガー・ソングライターの先駆けとしても功績を残した名アーティストである。

アーティスト【ザ・デル・サテンズ】



1958年にニューヨークのマンハッタンで活動していた2つのストリートコーナーグループである、ザ・ヨークビル・メロディーズ(The Yorkville Melodies)とザ・ジョーカーズ(The Jokers)が合併して結成された。オリジナルのメンバーは、10代のスタン・ジスカ (リード)、フレッド・フェラーラ (バリトン)、弟のトム・フェラーラ (ベース)、レスリー・カウチ (ファーストテナー)、キース・ケトナー (セカンドテナー) であった。彼らはR&Bグループのザ・デルズ(The Dells)とザ・ファイヴ・サテンズ(The Five Satins)へのオマージュとしてグループ名をザ・デル・サテンズ(The Del-Satins)にし、ライブパフォーマンスで確固たる人気を築き、有名なニューヨーク市全体の「バトル・オブ・ザ・グループ」のコンテストで1位になった経歴がある。1960年、彼らはジョージ・ゴールドナーのENDレーベルに録音した後、新しいマネージャーのローリー・グリブルを獲得し、LAURIEレーベルと契約した。そこで彼らは、ディオン&ザ・ベルモンツを脱退したばかりのディオンのコーラスを担当した「Runaround Sue」が大ヒットしている。ディオンのその後のソロ・ヒットの「Lovers Who Wander」「Little Diane」「Love Came to Me」「Ruby Baby」「Donna the Prima Donna」「Drip Drop」「Sandy」でもコーラスを務めた他、レン・バリーやジャン&ディーン、またアーニー・マレスカの1962年のヒット曲「シャウト!シャウト!」でもコーラスを務めた。自己名義での録音は1962年にCOLUMBIAレーベルにあるが成功はしていない。1963年にはフィル・スペクターのオーディションを受けたが、その後レコーディングの機会は不問にしている。1963年~1965年までの間クレイ・コールのテレビ番組に定期的に出演し、他の歌手のバックボーカリストとしても活動した。