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R&R 45

Carl Perkins - Matchbox / Your True Love

1957 USA Original 45rpm Record [SUN/261]

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ザ・ビートルズ他、多くのロックミュージシャンに多大な影響を与えた事でも知られる、50年代を代表するロックンロール・シンガー、ギタリスト、カール・パーキンスが、1957年にSUNレーベルからリリースした作品の1980's? 正規リイシュー・シングルです。

「マッチボックス」の誕生に関しては諸説あります。マ・レイニーは1924年3月にシカゴで「ロスト・ワンダリング・ブルース」を録音しPARAMOUNTレーベルから発表しました。彼女の曲の歌詞には、スーツケースとしてマッチ箱が引用されています。「今朝出発する、服を手に、私は止まることなくさまよう、私の夫を見つけるまで、私はここに座って考えている、マッチ箱に私の服は入るだろうか、私は打ち負かす太陽を持っている、私は道のさらに先に行くだろう」

マ・レイニーの「ロスト・ワンダリング・ブルース」から3年後、ブラインド・レモン・ジェファーソンは1927年3月14日に、ジョージア州アトランタのOKEHレーベルに「マッチ・ボックス・ブルース」というタイトルのブルースを録音しました。歌詞は「私はここに座って、マッチ箱に私の服が入るだろうかと考えている、マッチはないが、まだ長い道のりが残っている」といった内容です。レイニーとジェファーソンに共通している感じはありますが、これは単にブルースの伝統的な用法を参照しているだけではないかという指摘もなされています。

パーキンスはSUNレコード・スタジオで「ユア・トゥルー・ラヴ」を録音した後、その場にいたカール・パーキンスの父がうろ覚えで歌った、1927年のブラインド・レモン・ジェファーソンの「マッチ・ボックス・ブルース」の歌詞の断片に基づいて息子のカールに曲を書くことを提案しました。そして、当時SUNスタジオでセッション・ピアノを弾いていたジェリー・リー・ルイスがブギウギのリフを弾き始め、パーキンスはギターで即興で歌詞を演奏し始めました。パーキンスは、「マッチボックス」を録音した時にジェファーソンの歌を一度も聞いたことがなかったと主張しています。この2つの歌は音楽的にも、テーマ的にも、歌詞的にも全く異なっています。ジェファーソンの歌は意地悪な女性についてであり、パーキンスの歌は見込みの薄い恋に悩む「貧しい少年」について歌われています。

カール・パーキンスの熱狂的なファンだったザ・ビートルズは、初期の1961年から「マッチボックス」をライブのレパートリーとして歌っており、1963年7月に、ザ・ビートルズはピート・ベストの後任であるリンゴ・スターをリードボーカルとして録音し、その後1964年にEP 『ロング・トール・サリー』のためにも再度録音しています。

裏面はチャートヒットしており、ビルボード・ポップ・シングルチャートで最高67位、ビルボード・カントリーチャートで最高13位に達しました。

ジェリー・リー・ルイスは、このレコーディングでピアノを演奏しています。カバーも多い人気曲で、パーキンスが書いた50's ロカビリー・クラシックスの一つです。

クリーン・コピーは稀です。

コンディションNM/NM
マトリックス番号:45-U-231X / 45-U-235


アーティスト【カール・パーキンス】



ロックンロール・シンガー、ソングライター、ギタリスト。ロカビリー。1932年テネシー州ティップトンヴィル生まれで、1998年に死去。本名 Carl Lee Perkins 。貧しい小作農家の子として生まれ、黒人ゴスペルを聞いて育ち、週末にはグランド・オール・オープリーでカントリー・ミュージックを聞いており、ソノ両方から影響を受ける。初期はカントリーやブルースを演奏しパフォーマンスを行っていたが、1954年にサム・フィリップスのSUNレーベルからリリースされた、エルヴィス・プレスリーの「Blue Moon of Kentucky」を耳にし、メンフィスに行く事を決意する。同年にSUNレーベルのオーディションに合格し、1955年にサブレーベルのFLIPレーベルからデビューを果たす。初録音作「Turn Around」はローカルヒットを記録し、次にSUNレーベルからリリースされた「Gone Gone Gone」もローカルヒットを記録。そして間もなく名曲「Blue Suede Shoes」がリリースされて、ナショナルヒットを記録し最終的にはミリオンセラーとなる。人気もこれからという矢先の1956年に交通事故にあったが、一ヵ月後に復帰を果たす。それからは「Honey Don't」、「Match Box」、「Everybody's Tryin' To Be My Baby」といったロカビリーの名作を多数残し、「ロカビリーの王様」という愛称で高く評価されている。1958年以降はCOLUMBIAレーベルほかに録音を残し、1997年まで現役で活動を続けた。