商品情報にスキップ
1 / 2

R&B 45

Ray Charles - I'm Movin' On / I Believe To My Soul

1959 USA Original 45rpm Record [ATLANTIC/45-2043]

通常価格
¥1,200 JPY
通常価格
セール価格
¥1,200 JPY
- ポイント

↑獲得ポイント





50年代初頭から多くのヒット曲を放ち、“ブラザー・レイ”、“天才”、“ソウルの神様”等の愛称でも親しまれた、R&B~ソウル・シンガー、ソングライター、サックス&鍵盤楽器奏者/レイ・チャールズが、1959年にATLANTICレーベルからリリースしたシングルです。

ジェリー・ウェクスラーのプロデュースによる作品で、ビルボード・ホット100チャートで最高40位、ビルボード・R&Bチャートで最高11位を記録しました。

ハンク・スノウが1950年に発表したカントリー曲のカバーで、本作がレイにとって最後のATLANTICセッションとなります。



コンガとマラカスをフィーチャーしたレイ・チャールズのバンドがバッキングを演奏し、ザ・レイレッツがコーラスを担当しています。


The Ray Charles Orchestra

全体的にカントリー&ウエスタンにブルースの色彩を与えています。名作「ホワッド・アイ・セイ?」に続くシングル作品で、勢いのある豪快なR&Bジャンプ・ナンバーに仕上がった名作です。

裏面はレイ自作によるブルース・バラードで、こちらも非常に味わい一曲です。

ジ・アニマルズやMC5によるロック系のカバーの他にも、ルイス・ジョーンズによる強烈なボーカルのR&Bカバーが登場したり、ボビー・パーカーが「スティール・ユア・ハート・アウェイ」と改作した作品の元ネタになったりもした重要作品です。







<参加ミュージシャンと録音場所+日時>
Ray Charles [I'm Movin' On] [I Believe To My Soul]
Marcus Belgrave, John Hunt, trumpet; Bennie Crawford, alto, baritone sax; David Newman, tenor sax; Ray Charles, piano, vocals; Edgar Willis, bass; Teagle Fleming, drums.
NYC, June 26, 1959

B面の頭に周期的なプチノイズが出ます。

コンディション:VG(-)/VG-
マトリックス番号:45-A-3597-2 / 45-A-3598-1


アーティスト【レイ・チャールズ】











Ray Charles Robinson (September 23, 1930 Albany, Georgia, United States - June 10, 2004 Beverly Hills, California, United States) R&B~ソウル・シンガー、ソングライター、サックス&鍵盤楽器奏者、音楽プロデューサー、レーベルオーナー。R&B~ソウル界の大物で、愛称は“ブラザー・レイ”、“天才”、“ソウルの神様”。5歳の時に緑内障が原因で視力が低下し、7歳で盲目となる。15歳の1946年に母親を亡くし、友達の母親にフロリダ州ジャクソンヴィルで育てられる。間もなく同州オーランド~タンパに移住し、そこで初めてザ・フロリダ・プレイボーイズ(The Florida Playboys)というバンドに参加している。1947年に単身シアトルに移住し、 ロバート・ブラックウェルや、14歳のクインシー・ジョーンズらと交流を持つ様になる。そしてギタリストのG. D. マッキー(G. D. McKee)と、ベーシストのミルトン・ギャレット(Milton Garrett)と共にザ・マクソン・トリオ(The McSon Trio)を結成し、1949年にザ・マキシン・トリオ(The Maxin Trio)の名義でDOWN BEATレーベルに初録音した「Confession Blues」が初ヒットを記録した。同1949年にレイ・チャールズのソロ名義でSWING TIMEレーベルと契約し、「Baby Let Me Hold Your Hand」、「Kissa Me Baby」の2曲がヒットした。1952年にSITTIN' IN WITHレーベルとROCKIN'レーベルにもシングルを残し、同年にニューヨークに拠点を構えるアーメット・アーティガンのATLANTICレーベルに移籍する。初期はナット・キング・コールやチャールズ・ブラウン・スタイルのジャズやウェストコーストブルースを売りにしていたが、ATLANTIC入社後にはジャンプブルースやブギウギ、そしてゴスペルの要素を持ち込んだ独自のR&Bを展開。1953年に「Mess Around」がヒットした以降ヒットを連発し、1954年には歴史的名作の「I Got a Woman」を発表。様々な音楽要素をミクスチャーさせた新リズムは、1959年の「What'd I Say」に直結し、ソウルミュージックの先駆者として強い影響力を持つ事となる。1960年にはABC PARAMOUNTレーベルに移籍し、そこでは「Georgia On My Mind」や「Hit The Road Jack」、「Unchain My Heart」といったメインストリーム向けのR&Bをヒットさせていき、アメリカ国内だけに留まらず、世界的な成功を収めた数少ないR&Bスターとして有名になった。