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R&B 45

Jimmy Wilson - I Don't Care / Patiently

1961 USA Original 45rpm Record [DUKE/350]

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1953年の「ティン・パン・アレイ」のヒットで知られるブルース・シンガー/ジミー・ウィルソンが、1961年にUS DUKEレーベルからリリースしたシングルです。

ドン・ロービーが書いたレイ・チャールズ風のアップテンポ曲を、ソリッドなホーン隊を前面に押し出したスウィンギンなリズムに乗せた60's R&B・ジャンプ!

レイ・チャールズよりもファンキーで、ゴスペルをルーツにしたボーカルにも味わいのある作品です。

裏面はバラードで、ボーカルとホーンセクションとのコントラストが素晴らしい内容です。

コンディション:VG++/VG++
マトリックス番号:U.V.7095 82 / U.V.7094 82

アーティスト【ジミー・ウィルソン】
ジミー・ウィルソン(1918年もしくは1921年もしくは1923年1月21日ルイジアナ州生まれで、1965年2月5日もしくは1966年2月24日にテキサス州ダラスで死去)1953年の「ティン・パン・アレイ」のヒットが最もよく知られているアメリカ西海岸のブルース・シンガー。ウィルソンの人生の詳細は不明な部分が多く不確かである。彼は1918年にルイジアナ州ギブスランドでジミー・ネッド・ウィルソンとして生まれた可能性があり、もしくは(他の情報源によると)数年後にルイジアナ州レイクチャールズの近くで生まれた可能性があるともされている。ウィルソンはゴスペル・カルテットで歌っていた時に巡礼旅行先のカリフォルニア州オークランドで、ボブ・ゲディンズのバンドであったボブ・ゲディンズ・キャバリアーズで、1951年に録音をした。さらなる録音はウィルソン自身の名義で行われ、しばしばギタリストのラファイエット・トーマスが伴奏した。マスターの一部はALADDINレーベルによって購入され、ウィルソンは1952年にALADDINレーベルの為に録音した後、1953年にゲディンズのBIG TOWNレーベルのレコーディングに再び戻った。そこで1953年に「ティン・パン・アレー」がヒットし、米国のビルボードR&Bチャートで10位に達し、西海岸のブルースの主要人物としてゲディンズの地位を確立するのを手助けした。ウィルソンはBIG TOWNレーベルや他のいくつかのレーベルでレコーディングを続けたが、「ティン・パン・アレー」以降の成功を生むことはなかった。彼はルイジアナに戻り、そこでGOLD BANDレーベルに録音した。彼の1958年の曲「プリーズ・アクセプト・マイ・ラブ」は、後にB. B. キングとエルトン・アンダーソンによって録音されている。彼の最後の録音は1961年のテキサス州ヒューストンのDUKEレーベルだった。ウィルソンはアルコール依存症を発症し、1965年2月5日または1966年2月24日にテキサス州ダラスで亡くなった。
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