商品情報にスキップ
1 / 2

R&B 45

Irma Thomas - I Did My Part / It's Raining

1962 USA Original 45rpm Record [MINIT/653]

通常価格
¥3,400 JPY
通常価格
セール価格
¥3,400 JPY
- ポイント

↑獲得ポイント





"ニューオーリンズのソウル・クイーン"としても親しまれる女性R&B~ソウル シンガー、アーマ・トーマスが、
1962年8月にMINITレーベルからリリースしたシングルです。

アラン・トゥーサン・プロデュースによる作品です。トーマスは当初RONレーベルでレコーディングしていましたが、1961年にRONレーベルが正当な印税を支払っていないと感じ、MINITレーベルに移籍しました。そして、彼女はアラン・トゥーサンと組むことになり、トゥーサンはMINITでの彼女の作品のほとんどを作詞作曲し、プロデュースしました。ナオミ・ネヴィルという名前はトゥーサンの母親の名前で、彼は初期の作品の多くでこの名前を使用しました。


Allen Toussaint

アラン・トゥーサンが書いたアップテンポのマイナーキー曲を、レイ・チャールズ風のリズムとバッキングで編曲しています。これは当時のアラン・トゥーサンらしい特徴的なサウンドで、他の多くのMINITレーベルでのR&B作品と同様です。さらに男女のコーラスがせわしなく入り、アーマは低音のボーカルに情感を乗せて力強く歌います。ニューブリードR&B系がお好みな方にも大推薦の、60's ニューオーリンズR&B・チューン!

裏面はバラードで、この曲はルイジアナ州生まれの人々によって作詞・作曲・歌唱され、ニューオーリンズを拠点とするレコードレーベルからリリースされ、深南部地域的な名曲として長く愛されていることから、ルイジアナ州と深い繋がりがあります。

この曲の起源は、トーマスがニューオーリンズにあるアラン・トゥーサンの両親の家を訪れた時に遡ります。彼女はトゥーサンが初期の曲の多くを作曲したピアノの前に座りました。トゥーサンは後にこう語っています。「『It's Raining』を書いていた時、彼女がすぐそばに座っていて、外で雨が降り始めたのを覚えているよ」と彼は言いました。トゥーサンは雨に濡れた夜の奥底に潜む孤独を捉え「その時、その曲を書いて彼女に渡し、メロディーを聞かせるために少し歌ってみたんだ。すると、まるでドレスのようにぴったりだったんだ」と回想しています。

冒頭のファルセットのハーモニーは、1950年代後半のドゥーワップの歌唱スタイルを用いて、雨粒と涙の滴りを表現しています。普遍的な感傷的な人間の経験、つまり失恋について歌っているにもかかわらず、感傷的になりすぎず、品位をもって歌った60's ニューオーリンズR&B・クラシックです。

1986年:ジム・ジャームッシュ監督によるインディペンデント映画『ダウン・バイ・ロー』で使用されました。映画の中で恋に落ちる役を演じた俳優のロベルト・ベニーニとニコレッタ・ブラスキは、この曲に合わせて踊ったシーンが印象的でした。

1981年:ウェールズの歌手シェイキン・スティーブンスのバージョンは全英シングルチャートで10位を記録しました。

この曲は長年にわたり多くのミュージシャンによって カバーされていますが、ここで特筆するのは、2004年のデトロイト・コブラズによるバージョンで、アルバム『Baby』に収録されました。



コンディションVG-/VG-/RW
マトリックス番号:SO-798 / SO-800


アーティスト【アーマ・トーマス】











女性R&B~ソウル シンガー。1941年ルイジアナ州ポンチャトゥーラ生まれ。本名 Irma Lee 。"ニューオーリンズのソウル・クイーン"としても親しまれる、同地を代表する名歌手。1960年にRONレーベルからデビューし、「Don't Mess With My Man」がヒットした。その後はアラン・トゥーサンのサポートにより、MINITレーベルで、「It's Rainin'」等の上質なニューオーリンズR&Bの録音を残した。1964年からIMPERIALレーベルに移籍し、ロサンジェルスのポップ職人のサポートで「Wish Someone Would Care」や、イギリスのトレイシー・ウルマンがカバーした「Break-A-Way」、ザ・ローリング・ストーンズが取り上げた「Time Is on My Side」(原曲は1963年のカイ・ワインディング)等をヒットさせている。1967年以降はCHESS, COTILLION, CANYON, ROKER, JIN, UNITED ARTISTS, FUNGUS, MAISON DE SOUL, RCS, ROUNDER, SOUD OF NEW ORLEANS等のレーベルに1988年まで録音を続けており、2010年代以降も現役活躍中である。