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Soul 45

Wilson Pickett - In The Midnight Hour / I'm Not Tired [Monarch Pressing]

1965 USA Original 45rpm Record [ATLANTIC/45-2289]

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60年代から70年代後半まで数多くの大ヒットを残し、アメリカのソウル・ミュージックを代表する大物歌手として知られる様になったR&B~ソウル・シンガー、ソング・ライター/ウィルソン・ピケットが、1965年6月にATLANTICレーベルからリリースしたシングルです。

ジム・スチュワート&スティーブ・クロッパー・プロデュースによる作品です。

ビルボード・ホット100チャートで最高21位、ビルボード・R&Bチャートで最高1位を記録しました。ロックの殿堂の「ロックンロールを形作った500曲」に選ばれました。2017年、この曲は「文化的、歴史的、または美的に重要である」として、議会図書館によって国立録音登録簿への保存対象に選ばれました。1999年にグラミーの殿堂入りを果たしました。ローリングストーン誌の「オールタイム・グレイテスト・ソング500」のリストで134位にランクインしています。

この曲は、1968年4月にマーティン・ルーサー・キング・ジュニアが暗殺された場所として知られるようになる、メンフィスにあるロレイン・モーテルでピケットとスティーブ・クロッパーによって作曲されました。ウィルソン・ピケットは1965年5月12日、メンフィスのスタックス・スタジオで「イン・ザ・ミッドナイト・アワー」をレコーディングしました。この曲の共作者であるスティーブ・クロッパーの回想によると、「(アトランティック・レコード社長の)ジェリー・ウェクスラーが、あの素晴らしい歌手ウィルソン・ピケットをスタックス・スタジオにレコーディングに連れてくると言ってきたんだ」。そしてクロッパーはセッション・ギタリストで、彼がどんなグループに所属していたかは知りませんでした。「しかし、私はレコード店で働いていたことがあり、ウィルソン・ピケットが歌ったゴスペル曲をいくつか知っていた。ある曲の最後の数曲で、彼はこう歌っている。「真夜中にキリストに会おう!ああ、真夜中に」」。それはピケットが1962年にザ・ファルコンズの「アイ・ファウンド・ア・ラヴ」という曲ではリードボーカルを歌っており、歌詞の中で「そして時には真夜中に電話することもある!」と歌っており、そのフレーズを参照して作曲されたとのことです。

「イン・ザ・ミッドナイト・アワー」のバックの演奏には、クロッパーの他に、スタックス・セッションの常連であるアル・ジャクソン(ドラムス)とドナルド・“ダック”・ダン(ベース)が参加していました。クロッパーによると、「この曲の革新的なディレイド・バックビートはウェクスラーが担当した」とのことで、クロッパーはスタジオでウェクスラーが披露したジャークと呼ばれるダンスステップを基に、「イン・ザ・ミッドナイト・アワー」のグルーヴを練り直したといいます。クロッパーによると、「これは当時のキッズのダンススタイルで、アクセントを2つに置いていた。基本的に、僕たちは1拍のアクセントにアフタービートを付けて『ブーンダ』みたいな感じだったけど、今回は『ウンチャウ』という感じで、アクセントに関しては正反対の音だったんだ」と語っています。

重厚なメンフィスのスタックス・サウンドに乗せて、辛口ボーカルでソウルフルにシャウトする60's サザン・ソウル・クラシックス!

裏面はバラードです。

コンディションVG+/VG++
マトリックス番号:A-8930-21 57406 AT (MR) / A-8931-21 57406X AT (MR)


アーティスト【ウィルソン・ピケット】













Wilson Pickett (March 18, 1941 Prattville, Alabama, United States - January 19, 2006 Reston, Virginia, United States) R&B~ソウル・シンガー、ソング・ライター。1955年にザ・ヴィオリネアーズ(The Violinaires)というゴスペル・グループの一員として音楽キャリアをスタートさせる。1959年にエディー・フロイドやサー・マック・ライスが在籍したザ・ファルコンズ(The Falcons)に加入する。1962年にLU-PINEレーベルに録音しナショナルヒットとなった「I Found a Love」ではリードボーカルを担当して注目される。1962年にソロ歌手として独立し、CORREC-TONEレーベルに録音後、ロイド・プライスのDOUBLE-Lレーベルと契約し、「If You Need Me」や「It's Too Late」がマイナーヒットを記録。そして1965年にATLANTICレーベルに移籍し、南部のR&Bサウンドに乗せた「In the Midnight Hour」が特大ヒットした以降、70年代後半まで数多くの大ヒットを残し、アメリカのソウル・ミュージックを代表する大物歌手となった。