Tommy James & The Shondells - Hanky Panky / Thunderbolt (SNAP label)
1964 USA Original 45rpm Record [SNAP/102]
- Harga reguler
- ¥6,800 JPY
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多くのヒット曲を残し、60年代のアメリカン・ロック&ポップスを代表するグループとして知られる様になった、オハイオ州デイトン出身のロック・グループ/トミー・ジェームス&ザ・ションデルズが、1964年10月にSNAPレーベルからリリースしたシングルです。
1966年5月にROULETTEレーベルからディストリビュートされ、その時にビルボード・ホット100チャートで2週連続1位を記録しました。
エリー・グリニッチ&ジェフ・バリーが手がけたガール・グループ/ザ・レインドロップスが、1963年にJUBILEEレーベルに吹き込んだ同名作品のカバーです。
Jeff Barry & Ellie Greenwich
「俺のベイビーはハンキーパンキーをするぜ」というふうに繰り返されるシンプルな詩とコーラスのメロディーを、純粋なガレージ・ロック・サウンドと叙情的なフックで構築します。ザ・キングスメンの「ルイ・ルイ」のように口を滑らせるトミー・ジェームスの悪乗りボーカルや、低めのギターリフが奏でる制御不能なギターソロで最後を締めくくります。全体的にシンプルで伝染性があり、心地よく弾むようにリズムが跳ね返ります。豪快かつ粗削りなバンドの演奏にワイルドなボーカルが乗る60's ロック・クラシックス!
「ハンキー・パンキー」は1964年2月にダグラスのSNAPレーベルからリリースされ、シングルはインディアナとイリノイを中心に流通しましたが、人気はすぐに薄れれてしまい、ジェームスはザ・ションデルズを解散し、高校を卒業しました。1965年に失業中だったジェームスは、ピッツバーグのDJ/マッド・マイク・メトロヴィッチから連絡を受けました。メトロヴィッチはザ・ションデルズ版の「ハンキー・パンキー」をプレイし、シングルはピッツバーグで人気を博していると告げられます。ジェームスはその後、「ハンキー・パンキー」を再リリースすることを決意しピッツバーグに出向き、そこで出会った地元のバンド/ザ・ラカンターズ(The Raconteurs)を新しいザ・ションデルズとして雇いました(元のメンバーは再結成を拒否したそうです)。DJマッド・マイクまたは、ピッツバーグのDJ/ボブ・マックのどちらかが、ピッツバーグで「ハンキー・パンキー」のシングルを流行らせたどうかについては議論が続いています。ジェームスはマックの功績を認めています。テレビや市内のクラブに出演した後、ジェームスは「ハンキー・パンキー」のマスターをニューヨーク市に持ち込み、そこでROULETTEレーベルに売却しました。曲は再録音せず、「アマチュアっぽく聴こえなければならない」という意図でそのままのバージョンでリリースされ、1966年7月に2週間にわたってUSビルボード・トップ100の首位を獲得しました。
Mad Mike
Bob Mack
裏面はサーフ系のインストゥルメンタル作品です。
レーベルの下部に[Distr. Nationally by Red Fox Records, Inc., Pgh., Pa.]明記がある2nd.プレスでレアです(※1st.プレスは作者名がTommy Jacksonになっており、上記のRed Fox配給表記はなしで、シカゴのSheldon工場でプレスされたローカル盤でスーパー激レアです。画像以下)。
[Snap/102] (1964)
コンディション:NM/NM マトリックス番号:102-A / 102-B |
アーティスト【トミー・ジェームス&ザ・ションデルズ】
ロック・グループ。オハイオ州デイトン出身のトミー・ジェームス(本名:Thomas Gregory Jackson)が、1959年12歳の時に結成したザ・トルネードス(The Tornadoes)というバンドが前身となる。1964年にグループ名をザ・ションデルズ(The Shondells)に改め、SNAPレーベルに「Hanky Panky」を初録音する。この曲は、1965年にピッツバーグのイベント・プロモーター/ボブ・マックが地元で主催したダンス・パーティーにおいて、DJマッド・マイクがこのレコードをプレイし、一躍ピッツバーグのローカル・ヒットになった。同時にピッツバーグで80,000万枚以上のブートレグ盤が製造され、話題が大きくなった1966年に権利を買い取ったROULETTEレーベルが正規に全米流通を開始し、遂にはナショナル・ヒットとなった。以降は同ROULETTEレーベルで「Mony Mony」や「Crimson and Clover」等のヒットを連発し、60年代の米国ロックを代表するグループとして知られる様になっている。