The Olympics - What'd I Say? Part 1 / What'd I Say? Part 2
1963 USA Original 45rpm Record [ARVEE/A-5073]
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50年代後半~60年代中盤にかけてダンス物のヒットで一世を風靡したR&Bグループ/ジ・オリンピックスが、1963年にARVEEレーベルからリリースしたシングルです。
レイ・チャールズ「ホワッド・アイ・セイ?」のカバーです。
レイの原作と比較すると、ジャジーなバッキングのアレンジは引き継いでいますが、さらにアップ・ビートに変更されており、そこにコーラスをフィーチャーして賑やかなパーティー・チューンに仕上げた60's R&Bです。ボーカルがワイルドなのでR&B・ロッカーがお好きな方におすすめです。
裏面は曲の後半部分となるパート.2です。
コンディション:VG-/G/WOL/RW マトリックス番号:A-9912-11 / A-9881-11 |
アーティスト【ジ・オリンピックス】
R&B・グループ。1956年にカリフォルニア州コンプトンで結成されたザ・チャレンジャーズ(The Challengers)というグループが前身で、同年にMELATONEというレーベルからデビューする。1958年にはグループ名を ジ・オリンピックス に変更し、DEMONレーベルと契約し、録音した「Western Movies」、「(I Wanna) Dance With The Teacher」がヒットを記録。1959年にARVEEレーベルに移り「(Baby) Hully Gully」、「Big Boy Pete」、「Shimmy Like Kate」、「Dance by the Light of the Moon」、「Dooley」、「Little Pedro」等のダンスナンバーをヒットさせる。1962年にはTRI DISCレーベルに移り、1963年に「The Bounce」、「Dancin' Holiday」がヒットした。1965年にLOMAレーベルに録音してヒットした「Good Lovin'」は、ロックグループのザ・ヤング・ラスカルズに取り上げられて大ヒットし、さらに有名になった。1966年にMIRWOODレーベルに移り「Baby, Do the Philly Dog」がヒットした。メンバーのチャールズ・ファイザー(Charles Fizer)は、1965年にロサンジェルスで起きたワッツ暴動に巻き込まれて死去し、メルヴィン・キング(Melvin King)はグループ脱退後に銃の誤操作で妹を撃ち殺してしまうという悲劇に見舞われ、グループは活動ペースを落としながら1970年代前半まで活動を続けた。ゴスペルをルーツにした荒っぽいボーカルと、ザ・コースターズに倣ったノヴェルティーなコーラススタイル、そして一貫してダンスナンバーに徹するという芸風が最大の売りで、どの作品でも暴れっぷりが痛快無比である。