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Girls 45

Lesley Gore - It's My Party / Judy's Turn To Cry [Canadian Re-Issue, Stereo]

1980s?(1963) Canada Re-Issue 45rpm Record [MERCURY/TOP 017]

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数多くのヒット曲を残し、60年代のガールズポップを象徴するアイコンとして知られる様になった女性ポップ・シンガー、ソングライター、レスリー・ゴアが、1963年4月5日にMERCURYレーベルからリリースした作品の80's? カナダMERCURYレーベルによるリイシュー・シングルです。

ゴアの一連のヒットを手かげるクインシー・ジョーンズがプロデュースした作品です。


Quincy Jones

ビルボード・ホット100チャートで最高1位、ビルボード・R&Bチャートで最高1位、カナダ、オーストラリア、UKシングルチャートでもそれぞれ最高1位を記録しました。日本では邦題「涙のバースデイ・パーティー」として知られています。

「自分の誕生日パーティーで、友人であるジョディーが片思い中のジョニーと共にとどこかにシケこんだ」という屈辱的かつ悲惨な物語を、Aのメジャーキー+ラテンビート+ジャジーなホーンセクションであえて明るい雰囲気として仕上げた、クラウス・オガーマンの名編曲による60's ガール・ポップス・クラシックス!ティーネイジャーの切ない体験を、16歳のレスリーが等身大で歌った名作です。


Claus Ogerman

1981年にはイギリスのデイヴ・スチュワートとバーバラ・ガスキンによるバージョンが、UKシングルチャートで4週連続1位を記録し、その後アイルランドとニュージーランドでもナンバーワンに達し、オーストラリア、オーストリア、ドイツ、南アフリカ、スイスでトップ10に達しました。

裏面は、1963年6月21日にMERCURYレーベルからリリースしたシングル作品のカップリングです。

こちらもクインシー・ジョーンズ・プロデュースによる作品です。

ビルボード・ホット100チャートで最高5位、R&Bチャートで最高10位、カナダのチャートで最高8位、オーストラリアのチャートで最高28位を記録しました。

「自分の誕生日会なのにジュディーがジョニーとうまくいきそうで悲しい」という前ヒット作「イッツ・マイ・パーティー」のフォローアップ作品です。

ここでは「ジョニーを嫉妬させるために別のパーティーで別の男の子にキスをし、ジョニーはその男の子を殴り、自分のところに戻ってきた」という内容で、前作との物語がつながっている点がユニークです。明るく弾けた感じの曲のスタイルは二曲共似ていますが、それぞれが独自の識別可能なフックで始まる仕様になっています。キャッチーな曲、ジャジーなだけではないダイナミックなオーケストラ・サウンド、ゴアの透き通るティーン・ボーカルが絶え間なく畳みかけてくる60's ガールズ・ポップ・クラシックス!

良い音ステレオ盤です。ステレオ・サウンドがお好みの方におすすめです。オリジナル・カンパニースリーブ付きです。

コンディション:VG++/VG++/RI
マトリックス番号TOP-017A / TOP-017B


アーティスト【レスリー・ゴア】

Lesley Sue Gore (born Lesley Sue Goldstein; May 2, 1946 Brooklyn, New York City, New York, U.S. - February 16, 2015 Manhattan, New York City, U.S.) 女性ポップ・シンガー、ソングライター。16歳の時にMERCURYレーベルよりデビューし、1963-1965年の間に、「It's My Party(邦題:涙のバースデイ・パーティー)」、「Judy's Turn to Cry」、「She's a Fool」、「You Don't Own Me」、「That's the Way Boys Are」、「Maybe I Know」、「Look of Love」、「Sunshine, Lollipops, and Rainbows」といった多くのヒット曲を連発。初期の作品の多くは、ジャズ界でも有名なクインシー・ジョーンズがプロデュースしており、極上のポップ・ナンバー揃いです。1966年以降はボブ・クリュー他、多彩なプロデューサー陣を迎えており、それからも「California Nights」の大ヒットやマイナーヒット(ながらに上質)を1968年頃まで多数残している。60年代前半のガール・ポップスのブームを象徴する名歌手である。