Johnny Preston - Running Bear / My Heart Knows
1959 USA Original 45rpm Record [MERCURY/71474]
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ロックンロール・グループ/ザ・シェイズで活躍し、DJで歌手のビッグ・ボッパーに発掘された経歴を持つ、テキサス州ポートアーサー出身のロックンロール~ポップ・シンガー/ジョニー・プレストンが、1959年8月にMERCURYレーベルからリリースしたシングルです。ビル・ホール・プロデュースによる作品で、ビルボード・ホット100チャートで3週連続1位、英国シングルチャートで最高1位を記録しました。
ザ・ビッグ・ボッパー(J. P. リチャードソン)が書いた曲で、リチャードソンはプレストンの友人であり、彼がクラブで演奏するのを聞いた後、彼に「ランニング・ベア」を提供しました。プレストンは1958年にテキサス州ヒューストンのゴールドスタースタジオでこの曲を録音しました。サックスはリンク・デイビスが演奏し、「うがうが」と「インディアンの詠唱」のコーラスはジョージ・ジョーンズでした。
Big Bopper
曲は、「若いインディアンの勇者」であるランニング・ベアと「インディアンのメイド」であるリトル・ホワイト・ダブの物語です。二人は恋をしていますが、お互い違う部族に属しており文化的に分離され、かつそれらの部族を隔てる大きな川によって物理的にも二人の関係は分離されています。しかし川がもたらす障害とリスクがるにも関わらず、一緒にいることを切望している二人は、荒れ狂う川に飛び込んで情熱的なキスをした後、彼らは速い流れに引きずり込まれ、溺れます。歌詞は彼らの運命を「今、彼らはいつも一緒にいるでしょう/彼らの幸せな狩猟場にいます。」と説明しますが、これは二人が濁流に巻き込まれ死亡した事を示唆します。
シングルは1959年8月にリリースされており、これはリチャードソンがバディ・ホリーとリッチー・ヴァレンスと共に飛行機墜落事故で亡くなってから7か月後のことです。1960年に入りチャートの首位を獲ったのはマーティ・ロビンスの「エルパソ」で、「エルパソ」の歌詞も偶然にも主人公が死んでしまう話でした。
裏面はバラードです。
コンディション:VG++/VG+ マトリックス番号:YWM-17440-10 / YWM-17439-11 |
アーティスト【ジョニー・プレストン】
Johnny Preston (August 18, 1939 Port Arthur, Texas - March 4, 2011 Beaumont, Texas) ロックンロール~ポップ・シンガー。ロックンロール・グループ/ザ・シェイズ(The Shades)を結成し、地元のクラブで演奏しているところを、DJで歌手のビッグ・ボッパーに発掘される。1958年にMERCURYレーベルからリリースされた「Running Bear」が全米/全英でNo.1の大ヒットを記録した。続く「Cradle of Love」や、「I'm Starting to Go Steady」もヒットしており、テレビ番組『アメリカン・バンドスタンド』、『ザ・ミルト・グラント・ショウ』、『ザ・バディー・ディーン・ショウ』等にも出演している。