Langsung ke informasi produk
1 dari 3

Seventies 45

Janis Joplin - Move Over / Get It While You Can [Netherland CBS label] (w/PS)

1971 Netherland Original 45rpm Record [CBS/7451]

Harga reguler
¥3,800 JPY
Harga reguler
Harga obral
¥3,800 JPY
- ポイント

↑獲得ポイント







60年代を代表する早世の女性ロック・シンガー、ジャニス・ジョプリンが、1971年にオランダCBSレーベルからリリースしたシングルです。

ポール・ロスチャイルド・プロデュースによる作品です。

ジャニス・ジョプリンの最後のアルバム『パール』に収録された作品のシングル・カットです。




歌詞の意味については諸説あり、特定の男性に向けて、この関係はもう終わったのだから彼女を放っておいてという解釈と、彼女の人生における優柔不断な男性や信頼できない男性に向けた、より広範な声明であるという解釈がなされています。

フル・ティルト・ブギー・バンドが演奏する力強いブルージーなサウンドに乗せて、ジョプリンが生々しくソウルフルなスタイルのボーカルで歌う70's ロック・クラシックスです。当時は不思議とチャート入りしていませんが、彼女の代表曲のひとつとして周知され、人気のあるロックの定番名作です。

裏面はチャート作品で、ビルボード・ホット100チャートで最高78位を記録し、カナダのRPMチャートで最高51位を記録しました。

R&B・シンガー、ハワード・テイトが1967年にVERVEレーベルに吹き込みマイナーヒット(全米チャート134位)した作品のカバーで秀逸です。



オリジナル・ピクチャースリーヴ付きです(保存状態は概ね良好です)。

コンディション:NM/NM
マトリックス番号:Y451-1 / Y451-2


アーティスト【ジャニス・ジョプリン】









女性ロック・シンガー。1943年テキサス州ポート・アーサー生まれで、1970年に常用していたヘロインが原因で27歳の若さで死去した。本名 Janis Lyn Joplin 。幼少期から教会でゴスペルを歌い、ビリー・ホリデーやオデッタ、ビッグ・ママ・ソーントンなどを聞いて育つ。高校生の時に友人にリード・ベリーのブルースを聴かされてからブルースやフォーク・ミュージックに傾倒していく様になる。その後大学を中退し、1963年にサンフランシスコに移住してフォークシンガーとして活動。1965年にドラッグ中毒による生活改善の為テキサスに戻り、しばらくはソロ歌手として活動。しかし間もなく再びサンフランシスコに戻り、地元で人気のあったバンド、ビッグ・ブラザー&ザ・ホールディング・カンパニー(Big Brother and the Holding Company)にボーカリストとして参加した。そして1966年にMAINSTREAMレコードと契約し、初期の録音作品はヒットせずにいたが、1967年にモンタレーポップフェスティヴァルに出演してから注目される様になる。1968年にCOLUMBIAレコードと契約し、アルバム『Cheap Thrills』がナショナルヒットを記録。1969年に新バンド、ザ・コズミック・ブルース・バンド(The Kozmic Blues Band)を結成して活動し、アルバム『I Got Dem Ol' Kozmic Blues Again Mama!』を制作し、ウッドストック・フェスティバルにも出演したが、このバンドもすぐに解散した。1970年にフル・ティルト・ブギー・バンド(Full Tilt Boogie Band)を結成し、このバンドにおける演奏をもとに、ジョプリンの死後に制作された1971年発表のアルバム『Pearl』は、彼女の短いキャリア中で最高の売り上げを記録した。「ローリング・ストーンの選ぶ歴史上最も偉大な100人のシンガー」において第28位に選定される。

--

アーティスト【ビッグ・ブラザー&ザ・ホールディング・カンパニー】







ロック・グループ。1965年にサンフランシスコで結成。1966年にジャニス・ジョプリンがリード・シンガーとして加入し、同年にシカゴのMAINSTREAMレーベルに初録音する。ファーストアルバムのセールスは不調に終わったものの、同年にサンフランシスコで開かれた「マントラ・ロック・ダンス」で注目され、その後に「モントレー・ポップ・フェスティバル」に出演し、すぐにCOLUMBIAレーベルと契約を獲得した。1968年のアルバム『Cheap Thrills』はサイケデリック・ロックのマスターピースとして高く評価されている。1968年12月にジャニス・ジョプリンが脱退して第二期を迎え、1972年に活動停止。1987年には活動を再開している。