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R&B 45

James Brown & The Famous Flames - Try Me (Slow Mix version) / Tell Me What Did Wrong

1958 USA Original 45rpm Record [FEDERAL/12337]

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サム・クック、ジャッキー・ウィルソンと並んで3大ソウルの一人としても評価され、60年代以降のUSソウル・ミュージックを代表する最重要人物といえるR&B~ソウル・シンガー、ソングライター、鍵盤奏者、バンドリーダー/ジェームス・ブラウンが、1958年10月にFEDERALレーベルからリリースしたシングルで、アンディ・ギブソン・プロデュースによる作品です。ビルボードホット100チャートで48位、R&Bチャートで1位を記録し、アルバムタイトルになりました。ジェームス・ブラウンとザ・フェイマウス・フレイムスによる二度目のチャートシングルで、1956年の「プリーズ、プリーズ、プリーズ」の成功後は、2年間の不遇のブランクがありました。

1958年に出されたヒットバージョンとは異なり、曲全体のピッチを落としてストリングスをオーバーダビングした珍バージョンです。

1958年までに、ジェームス・ブラウンのキャリアは低迷していました。その理由は、「プリーズ、プリーズ、プリーズ」の作詞作曲のクレジットがとロイヤリティーをブラウン氏が独占した為、ザ・フェイマウス・フレイムスの創設者のボビー・バードを含むほとんどの主要メンバーがグループを脱退した為でした(ジョニー・テリーだけが残った)。ブラウン氏は新メンバーを再編し、リトル・リチャードの元ボーカルグループであるザ・ドミニオンズ(The Dominions:Big Bill"" Hollings, Louis Madison, J.W. Archer)のメンバーで構成される新ザ・フェイマウス・フレイムスのラインナップで演奏を続けました。そこからFEDERALレーベルで9枚のシングルをリリースしていましたが、結局全てが不発となりました。

失敗とも言える西海岸ツアーの後、ジョージア州メーコンに戻る途中、ブラウン氏はギタリストのボビー・ローチに「フロリダのナイトクラブ『ミリオンダラーパームス』の常連客からもらった曲」だと言ってアプローチしました。そしてローチが「トライ・ミー」のギターパートを作成した後、ブラウン氏とフレイムスは共にボーカルのハーモニーを作り上げ、デモ音源をカットしてレーベルヘッドのシド・ネイサンに送りました。ネイサンはそのデモ「トライ・ミー」に感銘を受け、プロデューサーのアンディ・ギブソンと、ベテランのセッションミュージシャンとのレコーディングセッションを、1958年9月18日にニューヨークのベルトーン・スタジオに手配しました。ここでもまた、他の人々が貢献したにも関わらず、ブラウン氏はその曲の唯一の作詞作曲者クレジットを受け取りました。

1986年の自伝でブラウン氏は「トライ・ミー」を回想し、「本当にポップな曲だ。ディー・クラークの「レインドロップス」と、ジェリー・バトラー&ジ・インプレッションズの「フォー・ユア・プレシャス・ラヴ」を聞き、それらの真ん中に収まる様に曲を書いた。」と述べています。しかし、「レインドロップス」は実際には「トライ・ミー」から2年以上後にリリースされているので、記憶が混在した発言だと思われます。実際にはジェリー・バトラー&ジ・インプレッションズの「フォー・ユア・プレシャス・ラヴ」からヒントを得たというのが時間軸的に適正でしょう。



メロディアスな楽曲をコーラスと共に優しく歌い、甘いムードを醸すR&Bラヴソングの名作ですが、同時に注目したいのは、複雑なコーラススタイルがもてはやされたドゥーワップ期において、ゴスペル風のシンプルなコーラスを用いている点です。ソウルミュージックがお好きな方ならご存知の様に、1960年代以降、ゴスペルスタイルのコーラスはソウルミュージックにおいて定番となりますが、そのスタイルは50年代の先駆的なR&Bミュージシャンによってすでに芽生えているというのがお分かりいただけるかと思います。「フォー・ユア・プレシャス・ラヴ」のオマージュと言えばそれまでですが、実際に取り組んでメジャーヒットとなり、影響力を持ち、主流な手法とするのは、間違いなくソウルミュージック誕生~形成に向けて重要な出来事でありました。ブラウン氏が「ソウルのゴッドファザー」と呼ばれる所以はこういうところにもあります。

裏面はブルージーなジャンプナンバーとなるR&B・2サイダー!

コンディション:VG/VG-/RW
マトリックス番号:G-45-7257-1 / G-45-7256-2

アーティスト【ジェームス・ブラウン】
James Joseph Brown (May 3, 1933 Barnwell, South Carolina, United States - December 25, 2006 Atlanta, Georgia) R&B~ソウル・シンガー、ソングライター、鍵盤奏者、バンドリーダー、音楽プロデューサー。サム・クック、ジャッキー・ウィルソンと並び3大ソウルと称されるR&B~ソウル音楽界の大御所。愛称はゴッドファザー・オブ・ソウルや、J.B、ショウ・ビジネス界いちの働き者、Mr.ダイナマイト等。16歳の時に車を強盗した罪で少年院に収監され、そこでの服役中に、ボビー・バードと出会う。バードの家族は、ブラウンの釈放後の生活を助け、その後約3年間は自動車会社や学校の用務員の仕事をこなしながら、野球ピッチャーやボクサーなどをして過ごす。1955年にボビーの妹らとゴスペル・グループ/ザ・ゴスペル・スターライターズ(The Gospel Starlighters)で歌い、同時にボビーが活動していたジ・エーヴォンズ(The Avons)というR&Bグループに加入し、このグループがグループ名を変更し後のザ・フレイムス(The Flames)となる。その後ジェームス・ブラウンを中心に、グループ名を新たにザ・フェイマウス・フレイムスとし、1956年にオハイオ州シンシナティーのKINGレーベル傍系のFEDERALレーベルと契約し、「Please, Please, Please」のヒットで華々しくデビューを飾る。他にも初期には「Try Me」等のR&Bバラードを得意とし、ブルージーなR&B作品でチャートヒットを連発。60年代には親レーベルのKINGレーベルに移る。1962年に女性歌手イヴォンヌ・フェア(Yvonne Fair)に提供した「I Found You」はファンキー・ソウルの原型と言われており、それに加え1964年にSMASHレーベルに録音した「Out Of Sight」と、1965年KINGレーベルでの「Papa's Got a Brand New Bag」でファンキーなスタイルを確立し影響力を持つ。以降も「I Got You (I Feel Good)」や「I Got The Feelin'」といった多くのヒット曲を放ち続け、USソウル・ミュージック界を代表する大御所となった。1971年以降はPEOPLE, POLYDORレーベル他に録音がある。ショウジネスのパイオニアの一人でもあり、彼が主催した『ザ・ジェームスブラウン・ショウ』は、60年代の『モータウン・レビュー』や『アイク&ティナ・ターナー・レビュー』と並ぶ人気を誇った。プロデューサーとしては、「ジェームス・ブラウン・プロダクション」を設立し、SMASH, MERCURY, KINGレーベル等でボビー・バードやマーヴァ・ウィットニーらを手がけている。
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