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Oldies 45

Buddy Holly - That'll Be The Day / I'm Lookin' For Someone To Love

1957 USA Original 45rpm Record [BRUNSWICK/9-55009]

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ザ・ビートルズ等にも影響を与え、50年代のロックンロール黄金期を代表する伝説的な存在となったロックンロール・シンガー、ソングライター、ギター、ピアノ、フィドル、バイオリン演奏/バディー・ホリーが、1957年5月27日にBRUNSWICKレーベルからリリースしたシングルです。

ノーマン・ペティー・プロデュースによる作品です。


Norman Petty

ビルボードホット100チャートで最高1位、R&Bチャートで最高2位を記録しました。ローリングストーン誌が選ぶ「ザ・500・グレーテスト・ソングス・オブ・オール・タイム」では第39位に選定されています。

本作は最初に1956年7月22日に、DECCAレーベルのためにバディ・ホリー&ザ・スリー・チューンズによって最初に録音されました。1957年にBRUNSWICKレーベルからザ・クリケッツによって再録音されたバージョンが本作で、このシングルがヒットした後の1957年9月2日に、DECCAレーベルは初回バージョンの録音をシングル(DECCA/D-30434)としてリリースしましたが、そちらはヒットしませんでした。



ホリーはDECCAレーベルと契約関係にあったため、プロデューサーのノーマン・ペティはBRUNSWICKレーベルでの再録音にあたりアーティスト名の表記をザ・クリケッツとしてリリースしました。録音は1957年2月25日に、ニューメキシコ州クロービスにあるノーマン・ペティ・スタジオで行われました。初回バージョンと比較すると、軽快なバンドのサウンドで洗練された作風となった50's ロックンロールのマスターピースです。

ジョージ・ルーカス監督による1973年のアメリカの青春映画『アメリカン・グラフィティ(American Graffiti)』に挿入されていました。



ザ・ビートルズが初期のザ・クォーリーメン時代にカバーしています。


The Quarrymen



裏面はノーマン・ペティーとの共作による、アップテンポのロカビリーとなる2サイダー盤!

コンディションVG++/VG++
マトリックス番号45 1020226 1 / 45 102021 1


アーティスト【バディー・ホリー】



Charles Hardin Holley (September 7, 1936 Lubbock, Texas, U.S. - February 3, 1959 Clear Lake, Iowa, U.S.) ロカビリー~ロックンロール・シンガー、ソングライター、ギター、ピアノ、フィドル、バイオリン演奏。最初期には中学校の時に友人ボブ・モントゴメリーとのコンビ、バディー&ボブ(Buddy & Bob)を結成し、カントリー&ブルーグラスを演奏して活動。地元のラジオ局KDAVにも出演し、地元ではトップの人気を誇るアーティストとなる。その後1955年に、エルヴィス・プレスリーに影響をうけてロカビリーに音楽スタイルを変更。1956年にDECCAレーベルと契約しザ・クリケッツ名義で数枚のレコードをリリースしたが、ヒットは生まれなかった。その後スタジオオーナーでもあったノーマン・ペティーをマネージャーに採用し、ニューメキシコ州クローヴィスにある彼のスタジオで録音した「That'll Be The Day」がBRUNSWICKレーベルよりリリースされてナショナル・ヒットを記録する。以降は「Oh Boy!」のヒットや、CORALレーベルに移ってからも「Peggy Sue」等、多数のヒットを連発し、50年代を代表するロックンロールスターとなった。メガネをかけた親しみやすいヴィジュアルや、ポップでキャッチーなロックンロール感覚は、ザ・ビートルズはじめ、多くの後続アーティストに影響を与えた伝説のロッカーである。1959年1月23日にリッチー・ヴァレンス、ビッグ・ボッパーらと共に飛行機事故で他界した。

アーティスト【ザ・クリケッツ】



ロックンロール・グループ。ロックンローラー、バディー・ホリーが在籍したバンドとして有名。1954年にバディーのDECCAレーベルのデモ録音用の演奏家として集められた、テキサス州ラボック出身のソニー・カーティス、ジェリー・アリスン、ラリー・ウェルボーンらのメンバーが中心となる。1957年までナッシュヴィルでロカビリーを演奏していたが、ヒットは出せずにいたところ、プロデューサー/ノーマン・ペティーと出会い、以降は活動の場所をニュー・メキシコに移す。1957年にBRUNSWICKレーベルからリリースされた「That'll Be The Day」は大ヒットを記録し、一躍50年代を代表するスター・グループへと成長した。1959年にバディー・ホリーが飛行機墜落事故で他界したが、その後もソニー・カーティスを中心にザ・クリケッツとしてCORALレーベルに録音をして活動を継続した。そこでヒット曲は生まれなかったものの、1959年にはロックンロールの名作となる「I Fought The Law」は、のちにザ・ボビー・フラー・フォーや、イギリスのパンク・バンドのザ・クラッシュによってカバーされた。1962年にはLIBERTYレーベルに移り、録音した「Don't Ever Change」がイギリスのシングルチャートでヒットを記録。同年に同レーベルで、バディー・ホリーの熱心なファンだった事で知られるポップ歌手/ボビー・ヴィーとコラボレーションし、そちらでも成功を収めた。以降はメンバー・チェンジを繰り返しながら、2010年代も現役で活動中である。