Bobbie Gentry - Ode To Billie Joe / Mississippi Delta
1967 USA Original 45rpm Record [CAPITOL/5950]
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カントリー界で初めて、セルフ・プロデュースから作詞作曲と歌もこなした人物としても知られる、元祖女性シンガー・ソングライター/ボビー・ジェントリーが、1967年7月にCAPITOLレーベルからリリースしたシングルです。
ケリー・ゴードン&ボビー・パリス・プロデュースによる作品で、ビルボード・ホット100チャートで最高1位、ビルボード・R&Bチャートで最高8位、カナダのRPMチャートで最高1位、UKシングルチャートで最高13位を記録しました。1976年に再びチャートに登場し、ビルボード・ホット100チャートで65位、カナダのRPMチャートで92位、アダルト・コンテンポラリー・チャートで42位を記録しました。第10回グラミー賞の8部門にノミネートされ、最優秀女性ポップ・ボーカル・パフォーマンス賞、最優秀新人アーティスト賞、最優秀アレンジメント・インストゥルメンタル・ボーカル部門の3部門を受賞しました。
2003年にローリングストーン誌が選ぶ「ザ・500・グレーテスト・ソングス・オブ・オール・タイム」のリストで419位に選定されています。2014年に「最も偉大なカントリーソング100」のリストで47位にランクされました。ピッチフォーク(Pitchfork:音楽情報ウェブサイト)は「1960年代のベストソング200」のリストで144位にランクしました。2023年に米国議会図書館によって「カントリー録音遺産における文化的、歴史的、または美的重要性」に基づいて、米国録音登録簿に保存されました。
ジェントリーが書いた曲で、娘と主人公と関係がある地元の少年ビリー・ジョー・マカリスターの自殺のニュースに対するミシシッピ州の田舎の家族の反応を語ります。詩の1行目から6行目まで完璧な韻が特徴的です。この曲の歌詞は広く注目を集め、リスナーは歌の主人公とビリー・ジョーがタラハッチー橋から何を投げ落としたのか興味をそそられました。ジェントリーによると、曲は「無意識の残虐行為の研究」であるとして、自殺に対する家族の無関心を描写するつもりだったと明らかにしましたが、投げられた物体はメッセージとは無関係であると述べています。作曲の唯一の動機は「人々の無関心」を示すことだったと語っています。
CAPITOLレコードのプロデューサー、ケリー・ゴードンはジェントリーの「ミシシッピ・デルタ」のデモを受け取り、ゴードンはそれを気に入り、この曲のB面用の作品も作ってほしいと頼みました。ジェントリーは元々ルー・ロウルズに「オード・トゥ・ビリー・ジョー」を提供予定で、自分でデモを録音した方が安上りだと判断し録音しました。レコーディングは1967年2月に「ミシシッピ・デルタ」のセッションの直後に行われました。ゴードンはデモ音源のジェントリーのボーカルを気に入りましたが、バックにはまばらな楽器のアレンジを加えることにしました。そしてゴードンは、ジミー・ハスケルにアレンジを依頼し、ヴァイオリン4本とチェロ2本による弦楽六重奏をオーバーダビングしました。
Jimmie Haskell
完成した作品は、ストリングスをバックに、まばらなアコースティックギターの伴奏で演奏される一人称の物語の形式です。R&Bのビートがあり、知的であり、音楽ジャンルを分類するのが難しいとされる名作です。ジェントリーの不気味なアコースティックギターで、下流に漂う蒸し暑いカントリー・ブルースであると評されることもありました。
裏面は本来のA面作品で、迫力のあるロック・サウンドにジェントリーのワイルドなハスキー・ボーカルが響く60's ロックでおすすめです。
コンディション:NM/NM マトリックス番号:45-57421-F11 / 45-57529-F4 |
アーティスト【ボビー・ジェントリー】
Roberta Lee Streeter (born July 27, 1944 Chickasaw County, Mississippi, United States) 白人女性シンガー・シングライター。カントリー・ミュージックで初めて、セルフ・プロデュースから作詞作曲と歌もこなした、カントリー界の元祖女性シンガー・ソングライター。1967年にCAPITOLレコードと契約してデビューし、カントリー・ロックの「Mississippi Delta」を発表。ところがこのシングルの裏面曲だった「Ode to Billie Joe」をラジオ局のDJが気に入り、あちこちの番組で頻繁にオンエアされて米英で特大ヒットを記録している(世界中で300万枚以上のヒットをしたという記録が残されている)。その後は「Okolona River Bottom Band」「Louisiana Man」、グレン・キャンベルとのデュエット「Morning Glory」「Let It Be Me」「All I Have to Do Is Dream」「Fancy」「He Made a Woman Out of Me」「Apartment 21」等をヒットさせた。その後もステージやテレビ番組にも出演し、1978年頃まで活動している。