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R&B 45

Lloyd Price - Lawdy Miss Clawdy / Mailman Blues (70's Re-Issue)

1970(1952) USA Re-Issue 45rpm Record [SPECIALTY/428]

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1952年のヒット「ロウディー・ミス・クロウディー」で、ロックンロール黎明期にニューオーリンズ・ビートを広めた功績が認められるR&B・シンガー、ロイド・プライスが、1952年4月にSPECIALTYレーベルからリリースした作品の1970年正規リイシュー・シングルです。







ビルボード・R&Bチャートで7週間連続1位を記録しました。1995年、ロックの殿堂が選ぶ「ロックンロールを形作った500曲」のリストに追加されました。

高校生の頃、ロイド・プライスはニューオーリンズのラジオ局WBOKで働いていました。そこでDJのジェームス・“オーキー・ドーキー”・スミスがコマーシャルで多用していたキャッチフレーズのひとつに「ロウディー・ミス・クロウディー、お母さんのホームメードパイを食べて、マクスウェルハウスコーヒーを飲みなさい!」をベースにして作曲し発展させました。曲は8小節のブルース進行に従っており、1941年にチャンピオン・ジャック・デュプリーが吹き込んでいた「ジャンカー・ブルース」の改作です。

メロディーはファッツ・ドミノの1950年のヒット曲「ザ・ファット・マン」に由来します。

歌詞は、恋愛に対する十代の不安を描いており、それを歌うプライスのボーカルはザラザラしており、表情豊かで悲痛な嘆きの声であると評価されています。

1952年、ロサンゼルスのSPECIALTYレコードの創設者であるアート・ルーペは、新しい才能を求めてニューオーリンズにやって来ました。


Art Rupe

地元のレコーディングスタジオのオーナー、コジモ・マタッサは、ファッツ・ドミノの初期のヒットレコードの多くを共作し、プロデュースしたデイヴ・バーソロミューを彼に紹介しました。そして、バーソロミューは19歳のロイド・プライスをマタッサのJ&MスタジオでのSPECIALTYレコードのオーディションに招待しました。


Cosimo Matassa

録音は、1952年3月13日にJ&Mスタジオで行われ、プロデューサーのデイヴ・バーソロミューは、ピアニストのサルバドール・ドゥセット、ギタリストのアーネスト・マクリーン、ベーシストのフランク・フィールズ、ドラマーのアール・パーマー、そしてサックス奏者のハーバート・ハーデスティ(テナー)とジョー・ハリス(アルト)からなるバックバンドをセッションに使用しました。バーソロミューがドゥセットのピアノ・パートに不満を抱いたため、代わりにスタジオにやってきたファッツ・ドミノが演奏したとされています。


Fats Domino & Dave Bartholomew

「ロウディー・ミス・クロウディー」は、ファッツ・ドミノのトレードマークであるピアノ三連符のスタイルを使用して、ピアノソロのイントロを繰り返します。


Fats Domino

この曲のもう一つの重要な要素はアール・パーマーのドラムの演奏であり、せわしないライド・シンバルを備えた緩やかなミッドテンポのシャッフル・ビートは、パーマーが各小節の2拍目と4拍目のスネアを強調したことによって支えられており、これによって彼は「バックビートの父」と呼ばれるようになりました。残りの楽器パートも、リズムのさまざまな要素を構成するいくつかの異なるパターンを演奏することにより、曲全体をリズミカルにドライブさせる重要な要素になっています。この複雑で層状なビートは、アフリカのポリリズムとも比較されました。

ニューオーリンズ・サウンドを全米に爆発させた曲で、ロックンロール時代におけるニューオーリンズR&Bのパターンの基準となりました。南部の白人ティーンエイジャーの注目を集めた最初のR&B・レコードのひとつとしても知られ、多くの曲にインスピレーションを与え、さまざまなアーティストによって録音されています。

裏面は、アップテンポのジャンプ・ブルースです。

コンディション:NM/NM/RI
マトリックス番号SP428A L-823 / SP428B L-8231-X


アーティスト【ロイド・プライス】











Lloyd Price (born March 9, 1933 Kenner, Louisiana, United States) R&B・シンガー、ソングライター、音楽プロデューサー、レーベル・オーナー。ニューオーリーンズR&B。愛称は“ミスター・パーソナリティー”。ファッツ・ドミノと並ぶ、50年代を代表するニューオーリンズ出身のR&Bスター。1952年にSPECIALTYレーベルと契約し録音したデビュー作「Lawdy, Miss Clawdy」はR&B No.1ヒットを記録し、初期のロックンロールとして影響力を持つ。以降1956年まで同レーベルに録音を続け、デイヴ・バーソロミューらの黄金ニューオーリーンズ・サウンドに乗せて三連でドライヴする曲から、ジャンプもの、ロックンロール、ブルースや、ラテン・ビート等を持ち前の大声ヴォーカルで歌い上げている。1957年にはKRCレーベルと契約し、「Just Because」他の良質なニューオーリンズR&Bを発表する。1959年にABC PARAMOUNTレーベルと契約し、「Stagger Lee」、「Personality」、「Where Were You」等のポップR&Bのヒットを連発し、大衆的に人気を博して大成功を収めた。また相棒のハロルド・ローガンとの作曲&プロデュース業でも功績を残しており、1962年には自身らでDOUBLE-Lレーベルを発足し、その頃まだ無名だったウィルソン・ピケットを発掘し、「If You Need Me」他をヒットさせている。1969年にローガンが殺害されるという事件が起こり、一人になったのを期に新レーベルTURNTABLEレーベルを発足し、ニューヨークに同名のレストラン・ナイトクラブも開業。70年代には有名なボクシング・プロモーター /ドン・キングのプロモートを手助けしている(モハメド・アリの「キンシャサの奇跡」も含む)。2010年にルイジアナ音楽の殿堂入り。