R&B 45
Hank Ballard & The Midnighters - Work With Me Annie / Until I Die
1954 USA Original 45rpm Record [FEDERAL/12169]
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- ¥3,400 JPY
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50年代初頭から活躍し、50年代後半からは「ザ・ツイスト」他の一連のダンス物ヒットで人気を博したR&B・グループ/ザ・ミッドナイターズが、1954年4月にFEDERALレーベルからリリースしたシングルです。
ビルボード・R&Bチャートで7週連続1位を記録しました。ロックの殿堂が選ぶ「ロックンロールを形作った歌」のリストに選定されています。
ハンク・バラードが作詞作曲をした12小節のブルース曲です。これは女性「アニー」が主役となるレコードの最初のもので、100万枚を売り上げました。アンサーソングの「アニーは赤ちゃんを産んだ」も同様に売り上げています。これらはすべてFCCによってラジオでの放送が禁止されました。
曲は1954年1月14日にシンシナティのKINGスタジオで録音され、シングルは翌月に発売されました。連邦通信委員会(FCC)は、その露骨に性的な歌詞、そしてその歌詞がクロスオーバーし、白人の10代の聴衆に聞かれていることを理由に、直ちにこの曲に抗議をしました。しかし、このレコードは非常に人気があり、多くの宣伝効果があったため、規制の試みは失敗に終わり、このレコードはアメリカのビルボードR&Bチャートで1位に躍り出て、7週間その座を維持した記録が残される結果となりました。
このレコードの成功は、ダブル・ミーニング・レコードやアンサーソングを録音する習慣を刺激しました。例えば、エッタ・ジェイムスの「ウォールフラワー」(通称「ロール・ウィズ・ミー・ヘンリー」)が顕著な例で、この曲は白人女性ポップ歌手のジョージア・ギブスによってソフィスティケートされた「ダンス・ウィズ・ミー・ヘンリー」として大ヒットを記録しています。
ハンク・バラードは、ザ・ドミノズが録音した「シックスティ・ミニッツ・マン」に影響をうけました。「シックスティ・ミニッツ・マン」は、60分間の男女の性交の様子を歌ったもので、「60分間の男」という内容になり、あまりにも露骨な性的表現を含んでいたため、R&Bのレーベルでしか受け入れられませんでした。
バラードは機会を得て、自ら卑猥な曲を書くことを決め、力強いメロディーと独特のリズムを持つこの曲を完成させました。曲の構成は、ロックンロールのスタイルを予見させるものであり、後に全く異なる歌詞で使われるほど柔軟性があったことが評価されています。
「アニー」の歌詞は、当時としては非常に露骨な性的表現を含んでいました。「アニー、ズルしないで。私の肉を全部ちょうだい」。そしてオチは「手に入るうちに手に入れましょう」といった内容でした。ハンク・バラードのバリトンと興奮した叫び声、そしてグループの「アーウー」という掛け声に、ブギーピアノ、力強いエレキギター、そして轟くエレキベースが重なり合った作品で、「ワーク・ウィズ・ミー・アニー」は、後のロックンロールの礎を築いたとされる名作の一つに挙げられます。
この後も、ザ・ミッドナイターズは「アニーズ・オウント・ファニー」といった続編を発表しております。
FEDERALレーベルでは、ザ・プラターズが「マイ・ネーム・エイント・アニー」として応えています。
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裏面はドゥーワップ・バラードで、こちらも真摯なドゥーワップでおすすめの2サイダーです。
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コンディション:VG+/VG(+) マトリックス番号:F-45-398-1 / F-45-399-1 |
アーティスト【ハンク・バラード&ザ・ミッドナイターズ】








R&B・グループ。1950-1951年頃にデトロイトで結成されたザ・ロイヤルズ(The Royals)が前身で、初期にはジャッキー・ウィルソンやリトル・ウィリー・ジョン、リーヴァイ・スタブスらが参加。1953年にシンガーのハンク・バラードが加入し歌っていたところを、ジョニー・オーティスに発見され、ジョニーは彼らのマネージャーとなってKING/FEDERALレーベルと契約。デビュー作の「Get It」はR&Bヒットを記録し、R&Bのスタイルも新しかった事からすぐに影響力を持ち始める。同レーベルにはすでにグループ名の似たザ・ファイヴ・ロイヤルズがいた為、1954年にグループ名をザ・ミッドナイターズに変更して以降は活動。初期は「Work with Me, Annie」や「Sexy Ways」といった下ネタ~色もの作品で人気を博し、1959年には(チャビー・チェッカーが取り上げてヒットさせて有名になる)「The Twist」をヒットさせる。以降は「Lets' Go, Let's Go, Let's Go」といったダンス物や、ロックンロール系の作品をトレードマークとし、1961年頃までヒットを快調に連発。しかしティーン向けのダンス・ナンバーだけではヒットが出せなくなり、その後ソウル・ミュージックにも挑戦するものの、徐々に人気は低迷していく。アップテンポ以外でも、初期の「Teardrops On Your Letter」等のバラードにも味があり、ハンクのゴスペル風味のシャウトも痛快。優れたギタリストにも恵まれたグループで、初期はアロンゾ・タッカー、アーサー・ポーター、1955-1958年の間にはキャル・グリーン、そしてキャルが大麻所持で逮捕された1958年からは、ジミ・ヘンドリックスにも影響を与えたというJ.C.・“ビリー”・ディヴィスといった凄腕のギタリストが参加しており、演奏の面でも聞きどころの多い名グループである。
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