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Oldies 45

Dion - The Wanderer / Dion & The Belmonts - No One Know (Re-Issue)

1978(1961&1958) USA Re-Issue 45rpm Record [LAURIE/LDG 101]

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ホワイト・ドゥーワップ・グループ/ザ・ベルモンツで人気を博した事でも知られるポップ・シンガー&ソングライターのディオン・ディムッチが、1961年11月にLAURIEレーベルからリリースした作品の、1978年正規リイシュー・シングルです。

ビルボード・ホット100チャートで最高2位を記録しました。ローリングストーン誌が選ぶ「ザ・500・グレーテスト・ソングス・オブ・オール・タイム」で第243位に選定されています。

アーニー・マレスカによって書かれた曲で、元々はニノ&ザ・エブタイズというグループが録音する予定でしたが、このグループはマレスカの他の曲を録音したので、「ザ・ワンダラー」は、結局ディオンのフォローアップ・シングル「ザ・マジェスティック」のB面用として録音されました。曲はR&Bスタイルで、旅をする男性と関係のあった多くの恋愛の物語です。ディオンは本作を、ボ・ディドリーの「アイム・ア・マン」やマディ・ウォーターズの「フーチー・クーチー・マン」のようなブルースに対するイタリア系アメリカ人からのブラック・ミュージックへのアティチュードであると捉えていると解説しています。

カバーが多い人気曲ですが、ここで特筆するのは以下です。1978年にレイフ・ギャレットによるバージョンがビルボード・ホット100チャートで最高49位に達しました。



1984年にステータス・クオによるバージョンがUKシングルチャートで最高7位、アイルランドで3位に達しました。



1988年半ばにエディー・ラビットによるバージョンがビルボード・ホットカントリーチャートで最高1位に達しました。



ザ・ストレイ・キャッツがライヴでの入場曲(SE)としてこの曲を使っていました。また1950年代をモチーフにした1979年公開の青春映画『ザ・ワンダラーズ』のテーマ曲としても採用され、何かとロックンロール・カルチャーとは縁深い名作です。


The Stray Cats


Movie - The Wanderers



裏面はディオン&ザ・ベルモンツが、1958年8月にLAURIEレーベルからリリースしたヒット曲のカップリングです。

ビルボード・ホット100チャートで最高19位、R&Bチャートで最高12位を記録しました。

アーニー・マレスカとケン・ヘシェットによって書かれたジャジーな雰囲気のポップ・バラードです。


Ernie Maresca

コンディション:NM/NM/WOL/RI
マトリックス番号P4KM-7354 / P4KM-7301


アーティスト【ディオン・ディムッチ】





ポップ・シンガー、ソングライター。1939年ニューヨーク州ブロンクス生まれのイタリア系アメリカ人。本名 Dion Francis DiMucci 。1957年にホワイト・ドゥーワップ・グループ、ザ・ベルモンツ(The Belmonts)を結成し、1957年MOHAWKレーベルに初録音後、その後LAURIEレーベルと契約し、「I Wonder Why」や「A Teenager In Love」といった一連のヒットを放つ。グループ内でも際立った存在感でアイドル的な人気を博していき、1960年には遂にソロ歌手に転向する(ザ・ベルモンツは引き続き活動を継続している)。ザ・ベルモンツ在籍時と同じくLAURIEレーベルで、アーニー・マレスカとの競作による「Runaround Sue」や、「The Wanderer」といったロックンロール・ナンバーを多数ヒットさせた。1962年にはCOLUMBIAレーベルに移籍し、「Ruby Baby」、「Dnna the Prima Donna」、「Drip Drop」をヒットさせている。ザ・デル・サテンズ(The Del Satins)は、主にディオンの専属コーラス隊として、多くのセッションでコーラスを担当した。初期のザ・ベルモンツ時代にはホワイト・ドゥーワップのブームを引率し、60年代初頭には歌って作曲してプロデュースもこなす、シンガー・ソングライターの先駆けとしても功績を残した名アーティストである。

アーティスト【ザ・デル・サテンズ】



1958年にニューヨークのマンハッタンで活動していた2つのストリートコーナーグループである、ザ・ヨークビル・メロディーズ(The Yorkville Melodies)とザ・ジョーカーズ(The Jokers)が合併して結成された。オリジナルのメンバーは、10代のスタン・ジスカ (リード)、フレッド・フェラーラ (バリトン)、弟のトム・フェラーラ (ベース)、レスリー・カウチ (ファーストテナー)、キース・ケトナー (セカンドテナー) であった。彼らはR&Bグループのザ・デルズ(The Dells)とザ・ファイヴ・サテンズ(The Five Satins)へのオマージュとしてグループ名をザ・デル・サテンズ(The Del-Satins)にし、ライブパフォーマンスで確固たる人気を築き、有名なニューヨーク市全体の「バトル・オブ・ザ・グループ」のコンテストで1位になった経歴がある。1960年、彼らはジョージ・ゴールドナーのENDレーベルに録音した後、新しいマネージャーのローリー・グリブルを獲得し、LAURIEレーベルと契約した。そこで彼らは、ディオン&ザ・ベルモンツを脱退したばかりのディオンのコーラスを担当した「Runaround Sue」が大ヒットしている。ディオンのその後のソロ・ヒットの「Lovers Who Wander」「Little Diane」「Love Came to Me」「Ruby Baby」「Donna the Prima Donna」「Drip Drop」「Sandy」でもコーラスを務めた他、レン・バリーやジャン&ディーン、またアーニー・マレスカの1962年のヒット曲「シャウト!シャウト!」でもコーラスを務めた。自己名義での録音は1962年にCOLUMBIAレーベルにあるが成功はしていない。1963年にはフィル・スペクターのオーディションを受けたが、その後レコーディングの機会は不問にしている。1963年~1965年までの間クレイ・コールのテレビ番組に定期的に出演し、他の歌手のバックボーカリストとしても活動した。

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アーティスト【ザ・ベルモンツ】






ホワイト・ドゥーワップ・グループ。1957年にニューヨーク・ブロンクスで結成され、グループ名はブロンクス通りから由来。ソロ歌手としても有名になる、ディオン・ディムッチが1958-1960年の間にリード・シンガーとして在籍。その為ディオン&ザ・ベルモンツ表記も有り。1957年MOHAWKレーベルに初録音後、LAURIEレーベルと契約。そして「I Wonder Why」や「A Teenager In Love」等のヒットを放ち、ホワイト・ドゥーワップのブームの中核を担う存在となる。1960年にはディオンがソロ歌手に転向する為、グループを脱退する。1961年にSABRINAレーベルと契約し、1961年に「Tell Me Why」がヒットした以降、1963年まで計6枚のシングルを中ヒットさせている。