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Seventies 45

Deep Purple - Smoke On The Water (3:48 version) / Smoke On The Water (4:34 version)

1973(1972) USA Original 45rpm Record [WARNER BROS./WB 7710]

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ヘヴィーメタルのパイオニア、モダン・ハード・ロック・グループとして知られるロック・バンド/ディープ・パープルが、1973年5月にWARNER  BROS.レーベルからリリースしたシングルです。

ディープ・パープル・セルフ・プロデュースによる作品で、ビルボード・ホット100チャートで最高4位、USキャッシュボックスチャートで最高3位、カナダのRPMチャートで最高2位を記録しました。2004年、ローリングストーン誌は「史上最高の500曲」のリストで434位にランク付けしました。トータル・ギター誌は「史上最高のギターリフ」のリストでこの曲のリフを4位にランク付けし、2005年3月、Q誌は「史上最高のギタートラック100選」のリストでこの曲を12位にランク付けしました。他にもVH1の「ベスト・メタル・ソング40選」で37位、VH1の「グレーテスト・ハード・ロック・ソングス100」で11位(2009年1月)にランク付けされています。2017年にこの曲はグラミー賞の殿堂入りを果たしました。

1972年のスタジオアルバム『マシーン・ヘッド』に収録されており、シングルとしては1年後の1973年5月に発売されました。

リッチー・ブラックモ、アイアン・ギラン、ロジャー・グローバー、ジョン・ロード、イアン・ペイスらが書いた曲で、この曲の歌詞は、1971年にスイスのモントルーにあるモントルー・カジノで発生した火災を題材にした実際の出来事に基づいています。この曲はバンドの代表曲とされており、ギターリフはロック史上最も象徴的なものの1つと考えられています。

レコーディングセッションの前夜、カジノの劇場でフランク・ザッパとマザーズ・オブ・インヴェンションのコンサートが行われました。これは、カジノ施設が毎年恒例の冬季改装工事のため閉鎖される前の劇場最後のコンサートであり、ディープ・パープルはそこでレコーディングを行う予定でした。「キング・コング」でドン・プレストンがシンセサイザーソロを弾き始めた頃、観客の誰かが籐で覆われた天井に向かって照明弾を発射し、突然火事になりました。その様子は「照明弾を持った愚か者が」という歌詞にあります大きな怪我人は出ませんでしたが、火災でカジノ施設全体が焼失し、マザーズの機材もろとも焼失しました。

高価な移動式録音装置と録音場所が残され、バンドは町中で別の場所を探さざるを得なくなりました。ノブスが見つけた有望な会場の1つは地元の劇場パビリオンでしたが、バンドが会場に入り、作業/録音を開始するとすぐに、近隣住民が騒音に腹を立て、地元警察に閉鎖されるまでに、バンドは1曲 のバックトラックしか録音できませんでした。そして約1週間の捜索の後、バンドはほぼ空っぽだったグランド・ホテル・ド・テリテを借り、その廊下と階段を仮設スタジオに改造し、そこで彼らの最も商業的に成功したアルバム『マシーン・ヘッド』のほとんどの曲を録音しています。

1988年のアルメニア地震の被災者を支援する慈善プロジェクト、ロック・エイド・アルメニアがチャリティーで再録音したバージョンが、イギリスのトップ40シングルチャートにランクインしました。

アルバム・バージョンは5:41でしたが、シングル化にあたり、3:48バージョンと、4:34バージョンにエディットされた2バージョンをカップリングしたシングルとして発売されました。

オリジナル・カンパニースリーブ付きです。

コンディションVG+/VG/WOL
マトリックス番号QAA 5307-1B / QAA 5811-1B


アーティスト【ディープ・パープル】







ロック・バンド。1968年にイギリス・ハートフォードにて結成。ヘヴィーメタルのパイオニア、モダン・ハード・ロック・グループとして知られる名グループ。1967年にザ・サーチャーズ出身のドラマー/クリス・カーティス(Chris Curtis)が、ロンドンの音楽業界者トニー・エドワーズ(Tony Edwards)に新バンド結成の為のマネージメントを持ちかけ結成したラウンドバウト(Roundabout)が前身となる。1968年メンバーに加わったギタリスト/リッチー・ブラックモア(Ritchie Blackmore)の提案で、グループ名をディープ・パープルに変更して活動。同年PYEレコード・スタジオで録音した「Hush」が英米カナダで大ヒットし、同年にクリームの解散ツアーのサポートが決まり一躍注目される。同年3月には1st.アルバム『Shades of Deep Purple』がリリースされ米国でヒットし、12月には2nd.アルバム『The Book of Taliesyn』もヒット。1969年の前半頃にバンド内で意見の対立が表面化し、所謂“第一期”が終焉を迎えています。その後は、新ボーカルにイアン・ジルマン(Ian Gillan)と、ベーシストにロジャー・グローヴァー(Roger Glover)を迎え、ハードロック路線で成功を収めた。