Buddy Holly - Everyday / Peggy Sue
1958 USA Original 45rpm Record [CORAL/9-61885]
- Precio habitual
- ¥4,800 JPY
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ザ・ビートルズ等にも影響を与え、50年代のロックンロール黄金期を代表する伝説的な存在となったロックンロール・シンガー、ソングライター、ギター、ピアノ、フィドル、バイオリン演奏/バディー・ホリーが、1958年9月20日にCORALレーベルからリリースしたシングルです。
ビルボード・ホット100チャートで最高3位を記録しました。ローリングストーン誌が選ぶ「ザ・500・グレーテスト・ソングス・オブ・オール・タイム」では238位に選定されています。
バディー・ホリー名義でリリースされていますが、実質的にはザ・クリケッツのドラマー、ジェリー・アリソンがパーカッションの代わりに膝を打ち、ベーシスト、ジョー・B・モウルディンはスタンドアップ・アコースティック・ベースを演奏し、プロデューサーのノーマン・ペティは、チェレスタ(またはセレスタ)を演奏しています。シンプルに繰り返されるキャッチーなメロディーを、甘目のボーカルで歌い上げる50's ロックンロール・クラシックス!
1986年の映画『スタンド・バイ・ミー』にも挿入されていた作品としても知られる作品です。
日本国内ではポップス・ファンの方には大瀧詠一氏の「A面で恋をして」の元ネタ曲として知られる作品でもあります。
裏面はザ・クリケッツのドラマー、ジェリー・アリソンが作曲し、当時彼の恋人だった“ペギー・スー”の事を歌った、ロックンロール・ラヴ・ソングとなる奇跡的なカップリングの2サイダー盤です。ザ・クリケッツのドラマー、ジェリー・アリソンの演奏によるルーディメンツという奏法が印象的です。こちらもローリングストーン誌が選ぶ「ザ・500・グレーテスト・ソングス・オブ・オール・タイム」では第194位と高順位に選定されるだけでなく、ロックンロールの殿堂/博物館では「ロックンロールを形成した一曲」にリストアップされてい重要作品であります。
オリジナル・カンパニースリーヴ付きです。
コンディション:VG++/VG++/SOL マトリックス番号:45 103180 2 / 45 103105 1 |
アーティスト【バディー・ホリー】
Charles Hardin Holley (September 7, 1936 Lubbock, Texas, U.S. - February 3, 1959 Clear Lake, Iowa, U.S.) ロカビリー~ロックンロール・シンガー、ソングライター、ギター、ピアノ、フィドル、バイオリン演奏。最初期には中学校の時に友人ボブ・モントゴメリーとのコンビ、バディー&ボブ(Buddy & Bob)を結成し、カントリー&ブルーグラスを演奏して活動。地元のラジオ局KDAVにも出演し、地元ではトップの人気を誇るアーティストとなる。その後1955年に、エルヴィス・プレスリーに影響をうけてロカビリーに音楽スタイルを変更。1956年にDECCAレーベルと契約しザ・クリケッツ名義で数枚のレコードをリリースしたが、ヒットは生まれなかった。その後スタジオオーナーでもあったノーマン・ペティーをマネージャーに採用し、ニューメキシコ州クローヴィスにある彼のスタジオで録音した「That'll Be The Day」がBRUNSWICKレーベルよりリリースされてナショナル・ヒットを記録する。以降は「Oh Boy!」のヒットや、CORALレーベルに移ってからも「Peggy Sue」等、多数のヒットを連発し、50年代を代表するロックンロールスターとなった。メガネをかけた親しみやすいヴィジュアルや、ポップでキャッチーなロックンロール感覚は、ザ・ビートルズはじめ、多くの後続アーティストに影響を与えた伝説のロッカーである。1959年1月23日にリッチー・ヴァレンス、ビッグ・ボッパーらと共に飛行機事故で他界した。
アーティスト【ザ・クリケッツ】
ロックンロール・グループ。ロックンローラー、バディー・ホリーが在籍したバンドとして有名。1954年にバディーのDECCAレーベルのデモ録音用の演奏家として集められた、テキサス州ラボック出身のソニー・カーティス、ジェリー・アリスン、ラリー・ウェルボーンらのメンバーが中心となる。1957年までナッシュヴィルでロカビリーを演奏していたが、ヒットは出せずにいたところ、プロデューサー/ノーマン・ペティーと出会い、以降は活動の場所をニュー・メキシコに移す。1957年にBRUNSWICKレーベルからリリースされた「That'll Be The Day」は大ヒットを記録し、一躍50年代を代表するスター・グループへと成長した。1959年にバディー・ホリーが飛行機墜落事故で他界したが、その後もソニー・カーティスを中心にザ・クリケッツとしてCORALレーベルに録音をして活動を継続した。そこでヒット曲は生まれなかったものの、1959年にはロックンロールの名作となる「I Fought The Law」は、のちにザ・ボビー・フラー・フォーや、イギリスのパンク・バンドのザ・クラッシュによってカバーされた。1962年にはLIBERTYレーベルに移り、録音した「Don't Ever Change」がイギリスのシングルチャートでヒットを記録。同年に同レーベルで、バディー・ホリーの熱心なファンだった事で知られるポップ歌手/ボビー・ヴィーとコラボレーションし、そちらでも成功を収めた。以降はメンバー・チェンジを繰り返しながら、2010年代も現役で活動中である。