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Jazz 45

Tony Bennett - (I Left My Heart) In San Francisco / Once Upon A Time

1962 USA Original 45rpm Record [COLUMBIA/4-42332]

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アメリカ合衆国において最高の男性ボーカリスト、エンターテイナーと称されるポップ・シンガー、トニー・ベネットが、1962年2月2日にCOLUMBIAレーベルからリリースしたシングルです。

ビルボード・ホット100チャートで最高19位、ビルボード・イージーリスニングチャートで7位を記録しました。グラミー賞の最優秀レコード賞と最優秀男性ソロ・ボーカル・パフォーマンス賞を受賞しました。1994年、グラミー賞の殿堂入りを果たしました。2018年、「文化的、歴史的、または芸術的に重要」であるとして、米国議会図書館によって国立録音登録簿への保存対象に選ばれました。2001年、RIAA/NEAの「20世紀で最も歴史的に重要な歌」のリストで23位にランクされました。サンフランシスコ市の公式賛歌の1つです。

1953年後半にジョージ・コーリーが作曲し、ダグラス・クロスが作詞し、ニューヨーク州ブルックリンで書かれたポピュラーソングです。ニューヨークに引っ越した後、サンフランシスコを懐かしむ二人のアマチュア作家についての歌です。歌詞の中でサンフランシスコのケーブルカーと霧について言及しています。


San Francisco, CA (1960s)

この曲は元々クララメイ・ターナーのために書かれたもので、彼女はよくアンコールとして歌っていましたが、彼女はそれをレコーディングすることはありませんでした。


Claramae Turner

この曲は、ベネットの長年の伴奏者で作曲家の友人であるラルフ・シャロンを通じてトニー・ベネットに伝わりました。シャロンは、彼とベネットがツアーに参加し、サンフランシスコのフェアモントホテルに向かう途中にこの曲を紹介しました。そして、1961年12月、サンフランシスコのフェアモント・ホテルの有名なベネチアン・ルームで、トニー・ベネットは初めて「アイ・レフト・マイ・ハート・イン・サンフランシスコ」を歌いました。その聴衆の中には、サンフランシスコ市長のジョージ・クリストファーと将来の市長ジョセフ・L・アリオトの姿もあったそうです。それから1960年代から1980年代にかけて、ベネットはベネチアン・ルームに出演する際に必ずこの曲を歌いました。


The Fairmont Hotel San Francisco

ベネットは1962年1月23日にCBS・30番地通りスタジオで曲を録音しました。マーティー・マニング楽団の優美なジャズ&オーケストラ・サウンドに乗せて、哀愁と渋みを含んだ天才的なボーカルで歌うポピュラーソングの名作です。

CBSはこの曲を「ワンス・アポン・ア・タイム」のシングルのB面としてリリースしました。しかしA面は注目されず、DJたちはレコードを裏返して「サンフランシスコ」をかけ始め、結果的に「サンフランシスコ」がチャート作品となった経緯があります。

1969年にR&B・シンガーのボビー・ウーマックのバージョンが、ビルボード・R&Bチャートで最高48位を記録しました。



裏面は本来のA面曲だったというポップ・バラードで、こちらもおすすめです。

オリジナル・カンパニースリーブ付きです。

コンディション:NM/VG+
マトリックス番号:ZSP-56077-1B / ZSP-56076-1A


アーティスト【トニー・ベネット】







Anthony Dominick Benedetto (born August 3, 1926) ポップ・シンガー。イタリア系アメリカ人の家族として生まれる。1950年にCOLUMBIAレーベルと契約し、そこから1960年代にかけて、「Because Of You」、「Cold Cold Heart」、「I Left My Heart in San Francisco」等の世界的な大ヒットで不動の人気を築いた。朗々とした発声を得意とする豊かな声量の持ち主である一方、トーチ・ソングなどでの細やかな表現力にも優れるなど、ポピュラーシンガー、およびジャズ歌手としての評価は高い。フランク・シナトラですら「トニー・ベネットは音楽業界最高の歌手だ」と言及する程の実力派として知られる。