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Soul 45

The Supremes - Stoned Love / Shine On Me

1970 USA Original 45rpm Record [MOTOWN/M 1172]

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60~70年代における数多くの世界的ヒットで圧倒的な人気を誇ったデトロイト出身の女性R&B~ソウル&ポップ・グループ/ザ・スプリームスが、1970年10月15日にMOTOWNレーベルからリリースしたシングルです。

フランク・ウィルソン・プロデュースによる作品です。

ビルボード・ホット100チャートで最高7位、ビルボード・R&Bチャートで最高1位、USキャッシュボックスチャートで最高5位、カナダのRPMチャートで最高9位、英国OCCシングルチャートで最高3位を記録しました。イギリスでは特に人気がある作品で、英国のトップ10に6週ランクインしました。近年でも、BBCによるリサーチで、全英国でのモータウン作品のダウンロード数とストリーミング数をランク付けする「トップ・100・デジタル・モータウン・チャート」で99位にランク付けしました。

1960年代後半にスライ&ザ・ファミリー・ストーンが録音したものと同様に愛と平和をモチーフにした作品で、世界中の人々に対し、互いの間の紛争と敵意、特にベトナム戦争を終わらせるよう訴える内容です。作曲家のケニー・トーマスは、お互いの間の変わらぬ絆の概念を定義するために「ストーン・ラブ」という言葉を選びました。元々のタイトルは「Stone Love」でしたが、ミックスとリリースの過程で「Stoned Love」と誤植のまま発表されてしまいました。

プロデューサーによって曲の数行が修正された後、「ストーンド・ラブ」は1970年の春に録音されました。インストゥルメンタル・トラックは、ファンク・ブラザーズと少なくとも他の30人のセッション・ミュージシャンとともに、デトロイトのモータウン・スタジオBとゴールデンワールドスタジオで録音されました。ジーン・テレル、メアリー・ウィルソン、シンディ・バードソングはニューヨークでボーカルを録音しました。

トム・ハンクス主演の1994年の映画『フォレスト・ガンプ』に挿入されました。



裏面はサイケデリックなファンク・ソウルです。

コンディション:NM/NM
マトリックス番号Z4KM-4085-1 H Z1-X-T2-829M05 / Z4KM-4086-1 H Z1-K-T2-804S06


アーティスト【ザ・スプリームス】























女性R&B~ソウル・ボーカル・グループ。ダイアナ・ロスが在籍した事で有名な女性ボーカル・グループ。日本語ではなぜか「ザ・シュープリームス」と発音されることがほとんどだが、米英語での発音は「ザ・スプリームス」の方が自然。1959年にザ・プライムス(The Primes:ザ・テンプテーションズの前身グループ)の兄妹グループとして、デトロイトで結成された4人組のザ・プライメッツ(The Primettes)が前身となる。1960年に地元のLU PINEレーベルに初録音をする。1961年にMOTOWNレーベルと契約し、メンバーチェンジを経てグループ名をザ・スプリームスに変更して活動。当初は歌唱力のあったフローレンス・バラードを中心にR&Bを歌っていたが、声質に親しみやすさのあったダイアナ・ロスをフロント歌手とし、1962年頃に音楽スタイルをポップ路線へ変更した「Let Me Go the Right Way」がヒットしたあたりから注目される様になる。1964年に「Where Did Our Love Go」が全米No.1ヒットを記録~英国でも大ヒットし、以降「Baby Love」「Come See About Me」「Stop! In the Name of Love」「Back in My Arms Again」「Nothing but Heartaches」「I Hear a Symphony」「My World Is Empty Without You」「Love Is Like an Itching in My Heart」「You Can't Hurry Love」「You Keep Me Hangin' On」「The Happening」「Reflections」「I Guess I'll Always Love You」「Love Child」「The Composer」「Someday We'll Be Together」等の大ヒットを連発させ(No.1ヒットは12曲)、一気に世界的なグループへと成長した。ダイアナが抜けた以降も70年代半ばまでチャート・ヒットをコンスタントに連発し、グループは1977年に解散している。