Sam Cooke - Wonderful World / Everybody Likes To Cha Cha Cha (Re-Issue)
1970's(1960&1959) USA Re-Issue 45rpm Record [RCA/447-0578]
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多くのヒット曲とゴスペルやブルース、ジャズをルーツにした歌唱スタイルでソウル&ロックに多大な影響を与え、ジェームス・ブラウン、ジャッキー・ウィルソンと並ぶ3大ソウル・シンガーとして称えられるR&B~ソウル・シンガー、ソングライター、サム・クックが、1960年にKEENレーベルからリリースした作品の70's RCA VICTORレーベル・リイシューです。
ビルボード・ホット100チャートで最高12位、ビルボード・R&Bチャートで最高27位を記録しました。
サム・クックが、ルウ・アドラー&ハーブ・アルパートと競作をした作品です。(レーベルにある作者のバーバラ・キャンベルはペンネーム)
Dean Torrence, Lou Adler, Jan Berry, Herb Alpert
「愛は世界を素晴らしい場所にすることができるだろう」という内容のキャッチーな楽曲を、疾走感のあるシンプルな演奏に乗せたポップR&B・クラシックス!
カバーも多い名作で、特にイギリスのハーマンズ・ハーミッツによるバージョンは全米ポップチャートで最高4位/UKシングルチャートで最高7位を記録しており、1978年にはアート・ガーファンクル&ポール・サイモン&ジェームス・テイラーによるトリオでの録音がビルボード・トップ100チャートで最高17位を記録し、さらに日本ではウルフルズがカバーしています。
また1985年にはイギリスのLEVI'SのCM曲にカバーバージョンが採用された事により、オリジナルのサム・クックのバージョンも同時に話題となり、UKチャートで最高2位に達しシングル25万枚のセールスを記録する大ヒットとなっています。
裏面は1959年にKEENレーベルからリリースされた作品のカップリングです。ビルボード・ホット100チャートで最高31位、R&Bチャートで2週連続2位を記録しました。
「バーバラ・キャンベル」名義となっていますが、本作はサム・クックによる作品です。1958年にルウ・ロウルズの継父の家で行われたクリスマスパーティーで、お祝いの間、クックの娘、リンダを含む全員が“チャ・チャ・チャ”を踊り始め、子供の1人が「みんなでチャ・チャ・チャ!」と声を発し、その時にサムは一枚の紙を手に取り、他のみんなが踊っている間に歌詞を書き留めたという逸話が作曲秘話が残されています。そして本作は1959年の元旦の翌週に録音されました。
ペリー・コモの「パパはマンボがお好き」に対抗した様なキャッチーなメロディーを、ジャジーなサンサンブルによる“チャ・チャ・チャ”のリズムで仕上げたティーネイジ・パーティーチューン!
ルネ・ホールがギターを演奏し、ラテンパーカッションの名人/ジャック・コスタンツォがボンゴを演奏し、チャーリー・パーカーやチェット・ベイカー等での仕事でも知られるマイク・パチェコがコンガを演奏、さらにダーレン・ラヴ&ザ・ブロッサムズがコーラスに参加しているという超豪華なバッキングにもご注目いただきたい名作です。
カバーはジ・オリンピックスによるバージョンや、スティーヴ・アレイモによるSKAバージョンが存在しており、それらも素晴らしいです。
コンディション:NM/NM/RI マトリックス番号:N2PW-1838--4 / N2PW-1829-5 |
アーティスト【サム・クック】
Samuel "Sam" Cooke (January 22, 1931 Clarksdale, Mississippi, U.S. - December 11, 1964 Los Angeles, California, U.S.) R&B~ソウル・シンガー、ソングライター、音楽プロデューサー、レーベル・オーナー。R&B~初期ソウル大物中の大物で、ジェームス・ブラウン、ジャッキー・ウィルソンと並ぶ3大ソウル・シンガーとして称えられる。初期はザ・ソウル・スターラーズという有名なゴスペル・グループに在籍して活躍し、SPECIALTYレーベルに録音を残す。ゴスペル歌手としても絶大な人気を誇る最中、1956年にデール・クック(Dale Cook)という名義でポップ/R&B歌手に転向し、引き続きSPECIALTYレーベルで「Forever」 / 「Loveable」をソロで初録音する。1957年に同レーベルにて「I'll Come Running Back To You」がナショナルヒットを記録し、同年にKEENレーベルに吹き込んだ「You Send Me」が全国区で大ヒットとなり知名度も上がる。このKEENレーベルではティーン向けのポップスの他にも、大人向けのジャズ・ヴォーカル作品等も残している。1960年にRCA VICTORレーベルに移籍し、そこからは「Twistin' the Night Away」、「A Change Is Gonna Come」、「Cupid」、「Chain Gang」といったヒットを連発する。活動の中期から徐々にゴスペル色を強めた自己のスタイルを形成していき、活動後期の作品では、人種問題を示唆した作品も意識的に作り、公民権運動の最中に“ブラック・プライド”の自覚を促した。また自身でインディペンデント・レーベルSAR/DERBYレーベルを設立しており、TAMLA/MOTOWNレーベルよりも早い時期に、黒人音楽企業家となり先駆けとなった。そこではポピュラーミュージックの他に、原点であるゴスペルの録音も積極的に行い、文化の保存と継承にも尽力した。オーティス・レディングや、アレサ・フランクリン、ボビー・ウーマック、ダイアナ・ロス、カーティス・メイフィールドといった後のソウル・スター達もサムの歌唱スタイルと魂を受け継いでおり、あらゆる面で強い影響力を持った天才人物といえる。1964年にロサンジェルスのモーテルで管理人の女に発砲され、惜しくも33歳の若さで死去したが、不審な点が多く殺害の原因は未だに謎に包まれている。