Richie Allen - Butterscotch / Sunday Picnic (Promo)
1960 USA Original 45rpm Record [IMPERIAL/5917]
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- ¥800 JPY
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初期のステッペン・ウルフやスリー・ドッグ・ナイトを手がけた事でも知られるミュージシャン、レコードプロデューサー、ソングライター/リッチー・アレンが、1960年にIMPERIALレーベルからリリースしたシングルです。
主に赤砂糖とバターを材料とする菓子の一種、バタースコッチをモチーフにした自作曲です。おそらくロサンジェルス界隈の一流ミュージシャンがバッキングを演奏していると推測される内容で、ザ・レッキング・クルー関連の初期サーフインストゥルメンタル系がお好きな方にはおすすめです。
裏面は日曜日のピクニックをモチーフにした、明るいムードのロックンロール・ギター・インストゥルメンタル作品です。
ホワイト・レーベル・プロモ盤です。
コンディション:NM/NM/DJ マトリックス番号:IM-5316 / IM-4164 |
アーティスト【リッチー・アレン】
リチャード・アレン・“リッチー”・ポドロール(January 7, 1936 - Los Angeles, California)ミュージシャン、レコードプロデューサー、ソングライター。1950年代にセッションミュージシャンとしてキャリアをスタートさせ、後にスリードッグナイトのプロデューサーとして大成功を収めた。ポドロールはロサンゼルスで生まれ、子供の頃にギターを学んだ。彼は16歳の時にセッションミュージシャンになり、そしてボニー・ギターのヒット「ダーク・ムーン」で演奏している。1956年に彼はディッキー・ポドロール名義でいくつかのレコーディングを行い、1950年代後半、ザ・ペッツ(The Pets)のメンバーとして、セッションミュージシャンのプラス・ジョンソンやアール・パーマーらも参加したグループで共に演奏をした。彼はザ・ペッツの1958年のヒット曲「チャ・フア・フア」で演奏している。ミュージシャンとしての彼の成功により、彼の兄であるドン・ポドラーはアメリカンレコーディングカンパニーというレコーディングスタジオを開き経営をした。ドラマーのサンディー・ネルソンと一緒に、リッチー・ポドロールは「ティーン・ビート」のデモを録音したが、この曲はネルソン他のミュージシャンによって演奏/録音され、1959年にヒットした。ポドロールは「ティーン・ビート」の共作クレジットを与えられなかったが、その後ネルソンは、1961年のヒット曲「レット・ゼア・ビー・ドラムス」等、後のレコーディングのいくつかを共同執筆した事で彼の功績を認めた。ポドロールは1960年代初頭に、リッチー・アレン(または1つのシングルではディッキー・アレン)という名前を使用してIMPERIALレコードから録音作品をリリースした。彼の1960年のシングル「ストレンジャー・フロム・ドュランゴ」は、ビルボード・ホット100チャートで90位に達した。1960年代初頭には、リッチー・アレンとパシフィック・サーファーズのリーダーとしてアルバムを制作し、そこではルネ・ホール、トミー・テデスコ、プラス・ジョンソン、リンカーン・マイヨーガ、サンディ・ネルソン等、名だたるロサンゼルスのトップセッションミュージシャンが演奏した。彼はセッションミュージシャンとして働くだけでなく、彼自身の名前でレコーディングを続けた。1960年代半ばまでにレコーディングエンジニアも務め、またミュージシャンとして、ザ・モンキーズ、ザ・タートルズ、エレクトリック・プルーンズ、グレイトフルデッド、ドノバンなどのレコーディングに携わった。彼はステッペン・ウルフの2枚のアルバムを制作し、「ボーン・トゥ・ビー・ワイルド」を含む初期のヒット曲をすべて手がけており、スリードッグナイトの「ママ・トールド・ミー・ノット・トゥ・カム」と「ジョイ・トゥ・ザ・ワールド」を制作し、その後のすべてのスリー・ドッグ・ナイトのアルバム制作に導いている。彼がプロデューサーとして一緒に働いた他のアーティストには、アイアン・バタフライ、ザ・ディラーズ、クリス・ヒルマン、ブラック・オーク・アーカンソーが挙げられる。