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Vocal 45

Peggy Lee - Fever / You Don't Know

1958 USA Original 45rpm Record [CAPITOL/F3998]

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長い芸歴の中で多くのヒットを放ちグラミー賞に12回もノミネートされた事でも知られる、20世紀を代表する女性ポップ・シンガー、女優、作曲家/ペギー・リーが、1958年6月にUS CAPITOLレーベルからリリースしたシングルです。

ビルボードホット100チャートで8位、R&Bチャートで5位、1958年8月15日に英国シングルチャートで5位、オーストラリアで2位、1959年1月3日にオランダで8位を記録した彼女の代表作品です。1959年に開催された第一回グラミー賞で、「レコードオブザイヤー」と「ソングオブザイヤー」と「最優秀女性ボーカルパフォーマンス」3つのカテゴリにノミネートされました。

リトル・ウィリー・ジョンが1958年に吹き込んだ名作「フィーヴァー」のカバーです。様々な音楽ジャンルにおいて数多くのアーティストによってカバーされていますが、ペギー・リーのバージョンが最もアイコニックなバージョンとなりました。リーのバージョンには、オリジナルとは異なる書き直された歌詞と変更された音楽の編曲が含まれています。



1958年5月、ペギー・リーはハリウッドでこの曲のカバーバージョンを録音しました。これには、クレジットなしでリー自身が考案した歌詞が大幅に書き直されました。リーのカバーは、オリジナルよりもテンポの遅いバージョンで、リー自身がアレンジした可能性が高いです(ジャック・マーシャルが指揮者であるという公式のクレジットにもかかわらず)。これは「トーキー・ラウンジ」モードであると説明され、ベース(ジョー・モンドラゴンが演奏)と非常に限定されたドラムセット(一部はシェリー・マンが指で演奏)を伴い、フィンガースナップはリー自身が奏でています。

ペギー・リーという類稀な天才歌手の遊び心が生んだ、カリスマ性、セクシュアリティ、滑らかさ、蒸し暑さ等が、「フィーヴァー」の楽曲が持つ「熱」というイメージに完璧に符号し、本当に熱気を帯びた作風として仕上がった名作です。ロバート・ディメリ著による本「死ぬ前に聴かなければならない1001曲」のリストで100位にランク付けされました。ジョーイ・コーンは、NPR(ナショナルパブリックラジオ)のグレートジャズボーカル50曲のリストの中で、10番目に優れたジャズボーカルにランク付けしました。

裏面はB.B.キングのカバーで、こちらもスロー&セクシーな編曲が堪らない2サイダー盤です。



盤質は綺麗ですが、プレス状態に起因するチリノイズが出ます。鳴り具合は実際のレコードから作成した試聴音源でご確認いただけます。米CAPITOLレーベルは50年代から60年代にかけて、この程度のチリノイズが出るコピーが普通に散見されますが、その中でもこの個体はまだ鳴りは良い方だと感じますのでおすすめです。オリジナル・カンパニースリーブ付きです。

コンディション:VG++/VG++
マトリックス番号45-19145-D1 / 45-19200-D1


アーティスト【ペギー・リー】



女性ポップ・シンガー、女優、作曲家。1920年ノース・ダコタ州ジェームスタウン生まれ。本名 Norma Deloris Egstrom 。7歳から歌いだし、1941年にはベニー・グッドマン楽団の歌手として活動。1942年にCOLUMBIAレーベルに録音した「Somebody Else Is Taking My Place」がヒットを記録。続けて翌年には「Why Don't You Do Right?」がミリオンセラーのヒットを記録し出世作となっています。1943年3月、ベニー・グッドマン楽団のギタリスト/デイヴ・バーバーと結婚し、その後2人はベニー・グッドマン楽団を脱退。1944年に設立後間もないCAPITOLレーベルと契約し、1946年に「I Don't Know Enough About You""」、1947年に「It's a Good Day」、1948年に「Manana」が特大ヒットを記録。1948年には国民的歌手ペリー・コモやジョー・スタッフォードと共に、NBCのラジオ音楽番組『チェスター・フィールド・サッパー・クラブ(Chesterfield Supper Club)』で司会者を努めさらに人気を得る。1951年にデイヴと離婚し、1952年にDECCAレーベルに移籍し、名曲「Black Coffee」や「Lover」、「Mr. Wonderful」等を発表し、芸術的に豊かな時期を迎えている。1957年には再びCAPITOLレーベルに戻り、リトル・ウィリー・ジョンの「Fever」を大ヒットさせている。生涯においてグラミー賞に12回ノミネートされ、1969年のヒット曲「Is That All There Is?」で最優秀女性ポップボーカル賞を受賞しており、1995年にはグラミー生涯成績賞が授与されている、名実共に20世紀を代表する名歌手の一人である。