Johnny Ace - Pledging My Love / No Money
1954 USA Original 45rpm Record [DUKE/136]
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初期のメンフィスではB.B.キングやボビー・ブランドらと共にザ・ビール・ストリーターズとして人気を博し、ソロでは渋みもある甘口バラードの表現や、ジャンプナンバーでのずっしりとした男っぽいボーカルで人気を博した名歌手として知られるR&B・シンガー、ジョニー・エイスが、1954年12月にDUKEレーベルからリリースしたシングルです。
ビルボード・トップ100チャートで最高17位、ビルボード・R&Bチャートで10週連続1位を記録しました。
フェルディナンド・ワシントンとドン・ロービーによって書かれた美しいメロディーのバラード曲を、ジョニー・オーティスが演奏するビブラフォンをオーバーダビングしたサウンドに乗せて、甘くふくよかなボーカルで歌いあげる50's R&B・クラシックスです。
裏面のカップリングが「No Money」のファースト・プレスで、こちらはスモールコンボ・バンドの演奏に、エイスのどっぷりとしたボーカルが乗ったジャンプ・ブルースです。
A面はコンディションVG(+)評価でまずまずですが、プレス状態に起因するヒスノイズが出ます。また、B面の前半に肉眼では目視出来ない傷があり、そこを通過時に2回程プチノイズが出ます。実際のレコードから作成した試聴音源をお試しくださいませ。
コンディション:VG(+)/VG-/WOL マトリックス番号:45-ACA-2801-2-3 / ACA45-2936 DR D-136 |
アーティスト【ジョニー・エイス】
R&B・シンガー、ピアニスト。メンフィスR&B。1929年テネシー州メンフィス生まれで、1954年のクリスマス・イヴの夜に、ヒューストンの楽屋で拳銃の暴発事故で悲劇的な最後を遂げた(ロシアンルーレットで死去したというのが通説であったが、その事故現場に居合わせたウィリー・メエ・“ビッグ・ママ”・ソーントンの証言によると、酒に酔ったジョニーがテーブルに置いてあった22口径リボルバーに「玉が装填されていない」と思い込み、ジョークで自分の顔面めがけて引き金を引いて起こった事故だというの説が有力)。本名 John Marshall Alexander, Jr. 。初期は朝鮮戦争に軍役から帰還後、アドルフ・ダンカン(Adolph Duncan)のバンドにピアニストとして参加。その後メンフィスでB. B. キングやボビー・ブランドらと共に活動し、彼らはザ・ビール・ストリーターズとして人気を博す。同時期にB. B. キングのWDIAでのラジオ番組にもトークで参加。1952年にジョニー・エイスという芸名でDUKEレーベルとソロ契約を結び、「Cross My Heart」、「Please Forgive Me」、「The Clock」、「Yes, Baby」、「Saving My Love for You」、「Never Let Me Go」等をヒットさせ、バラードを中心としたR&Bシンガーとして一躍人気を博す。人気も絶頂という1954年に前述の拳銃事故で死去し、死後の1955年に「Pledging My Love」がナショナルヒットとなっている。渋みもある甘口バラードの表現や、ジャンプナンバーでのずっしりとした男っぽいボーカルも両方魅力の名歌手である。