Charles Brown - Merry Christmas, Baby / Lloyd Glenn - Sleigh Ride [Hollywood label]
1954(1947&1950) USA Original 45rpm Record [HOLLYWOOD/1021]
- Regular price
- ¥2,400 JPY
- Regular price
-
- Sale price
- ¥2,400 JPY
- Unit price
- per
パーシー・メイフィールド、ジョニー・エイス、レイ・チャールズ、サム・クック等に影響を与えたことで知られるブルース・シンガー、ピアニスト/チャールズ・ブラウンが、1954年にHOLLYWOODレーベルからリリースしたシングルです。
1947年に、ジョニー・ムーアのスリー・ブレイザーズが、チャールズ・ブラウンのボーカルとピアノをフィーチャーして初録音したR&Bクリスマスの定番曲です。
オリジナル・バージョンはEXCLUSIVEレーベルから78回転SP盤としてリリースされております。
1947年のクリスマス・シーズンには、ビルボード・R&Bチャートで最高3位を記録しました。
ジョニー・ムーアのスリー・ブレイザーズは、当時、西海岸で最もホットなブルース・グループの1つでした。ギタリストのムーア、ブラウン、ベーシストのエディ・ウィリアムズ、ギタリストのオスカー・ムーア(ナット・キング・コール・トリオのメンバー)。
1958年にチャック・ベリーによるカバーバージョンは、ビルボード・ホット100チャートで最高71位に達しています。
裏面は、ウェストコースト・ブルース・スタイルの先駆者として知られるR&B・ピアニスト、バンドリーダー、編曲家/ロイド・グレンのカップリングです。
1950年にHOLLYWOODレーベルから78回転SP盤シングルとしてリリースされていた作品です。このシングルのカップリングはチャールズ・ブラウンの「メリー・クリスマス、ベイビー」で、この7インチと同じでした。
クリスマスをモチーフにした哀愁のあるブルース曲を、マンボ・ジャズのリズムに乗せたジャンプ・ブルース・インストゥルメンタル・ナンバーで最高です。
コンディション:VG(+)/VG(+) マトリックス番号:AW-1021-A / AW-1021-B |
アーティスト【チャールズ・ブラウン】
ブルース・シンガー、ピアニスト。戦後ウェストコースト・ブルース/R&Bの最重鎮。1922年テキサス州テキサス・シティ生まれで、1999年に死去。中産階級の家に生まれ、幼少の頃からクラシカル・ピアノ等の音楽教育を受けた。ロサンジェルスに移住後は、ジョニー・ムーアのスリー・ブレイザーズのシンガー/ピアニストとしてミュージシャン活動を開始し、1945年にALADDINレーベルと契約。ナット・キング・コールにも通じる、バラード的感覚の、甘く、スムースな唱法は「クラブ・ブルース」スタイルと呼ばれて広まり、パーシー・メイフィールド、ジョニー・エイス、レイ・チャールズ、サム・クック等にも影響を与えている。「Driftin' Blues」や「Merry Christmas Baby」といったブルースのスタンダードとなった名作もある。
---
アーティスト【ロイド・グレン】
Lloyd Colquitt Glenn(1909年11月21日~1985年5月23日)R&B・ピアニスト、バンドリーダー、編曲家。ウェストコースト・ブルース・スタイルの先駆者として知られる。グレンはテキサス州サンアントニオで生まれ、ダラスやサンアントニオ地域の様々なジャズ・バンドと共演し、1936年にドン・アルバート楽団と初めて録音した。1941年にカリフォルニアに移り、1944年にウォルター・ジョンソントリオに参加し、セッション・ミュージシャンおよび編曲家としての職についた。T・ボーン・ウォーカーの1947年のヒット曲「コール・イット・ストーミー・マンデイ」に参加し、同年後半にはロイド・グレン&ヒズ・ジョイメーカーズという名義で初のソロ・レコードを制作した。1949年にA&R担当としてSWING TIMEレコードに加わり、ローウェル・フルソンとともに「エブリデイ・アイ・ハヴ・ザ・ブルース」やNo.1 R&Bヒット「ブルー・シャドウズ」など数々のヒット曲を録音した。彼自身の大きなR&Bヒット曲もあり、「オールド・タイム・シャッフル・ブルース」(1950年全米ビルボードR&Bチャート第3位)に続いて「チカ・ブー」も1951年6月にR&B チャートで第1位になった。同時に、キッド・オリーのクレオール・ジャズ・バンドでピアニストとして演奏を続けた。グレンはALADDINレコードと契約するのとほぼ同時期の1953年にオリーの元を去り、そこでB・B・キングの1960年のアルバム『マイ・カインド・オブ・ブルース』のプロデュースと演奏に参加している。彼は1960年代を通じて、キング、ウォーカーなどのセッション・ミュージシャンとして活動し、また自身もレコーディング・アーティストとして活動を続けた。キャリアの終わりに向けて、彼はロサンゼルスのクラブで演奏し、モントレー・ジャズ・フェスティバルに出演し、クラレンス・“ゲイトマス”・ブラウン、ビッグ・ジョー・ターナー、ミュージシャンの息子であるロイド・グレン・ジュニアとツアーを行った。グレンは1985年5月に心臓発作のためカリフォルニア州ロサンゼルスで亡くなった。