The Everly Brothers - Claudette / All I Have To Do Is Dream
1958 USA Original 45rpm Record [CADENCE/1348]
- Normaler Preis
- ¥2,200 JPY
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- ¥2,200 JPY
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50年代のロックンロール期から、60年代のポップ時代まで、多くのヒットを放ち、ザ・ビートルズや、ザ・ホリーズ他のロック・ミュージックにも多大な影響を与えた名兄弟ロックンロール・デュオ/ジ・エヴァリー・ブラザーズが、1958年4月21日にCADENCEレーベルからリリースしたシングルです。
ビルボード・ホット100チャートで最高30位、UKシングルチャートで最高1位、ビルボード・カントリーチャートで最高15位、カナダのチャートで最高26位を記録しました。
ロイ・オービソンが書いた曲を、軽快なロカビリーサウンドに乗せて息の合ったツインボーカルでハモる50's ロックンロール・クラシックス!
Roy Orbison
裏面はブードロー・ブライアントが書いた曲で、ビルボード・ホット100チャートで最高1位、ビルボード・R&Bチャートで最高1位、UKシングルチャートで最高1位、ビルボード・カントリーチャートで最高1位、カナダのチャートで最高1位、オーストラリアのチャートで最高3位を記録しました。日本では邦題「夢を見るだけ」として知られています。ローリングストーン誌が選ぶ「ザ・500・グレーテスト・ソングス・オブ・オール・タイム」で第141位に選定された他、ロックンロールの殿堂が選ぶ「500・ソングス・ザット・シェープド・ロックンロール(500 Songs that Shaped Rock and Roll:ロックンロールを形成した500曲)」に選定され、2004年にはグラミーの殿堂入りを果たしています。
Boudleaux and Felice Bryant
1962年、リチャード・チェンバレンによるカバーがシングルとしてリリースされ、1963年にビルボード・ホット100チャートで最高14位、アダルトコンテンポラリーチャートで最高6位に達しました。
1969年、ボビー・ジェントリーとグレン・キャンベルによるデュエットバージョンはビルボード・ホット100チャートで最高27位、カントリーチャートで最高4位、アダルトコンテンポラリーチャートで最高4、UKシングルチャートで最高3位、南アフリカのチャートで最高3位を記録しました。
1975年、ザ・ニッティー・グリッティー・ダート・バンドのバージョンは、ビルボード・ホット100チャートで最高66位に達しています。
1994年、クリフ・リチャードがエバリー・ブラザーズのフィル・エヴァリーと一緒に歌ったバージョンは、UKシングルチャートで最高14位に達しています。
コンディション:VG++/VG++ マトリックス番号:J8OW2599-1 A1 / J8OW2598-1A2 |
アーティスト【ジ・エヴァリー・ブラザーズ】
ロックンロール・ボーカル&ギター・デュオ。アイオワ州シェナンドア出身の兄弟アイザック・ドナルド・エヴァリー(Isaac Donald Everly:1937年生まれ)と、フィル・エヴァリー(Phillip Everly:1939年生まれで、2014年に死去)によるデュオ。1956年にチェット・アトキンスのアレンジメントで録音した作品がCOLUMBIAレーベルからリリースされる。そして間もなくアーチー・ブライヤーのCADENCEレーベルと契約し、そこではカントリー・ミュージックをルーツに、ツイン・アコースティック・ギターによるフォーキーなロックンロールと、フォーク・ミュージックのクロース・ハーモニーを融合させたスタイルで、「Bye Bye Love」、「Wake Up Little Susie」、「All I Have to Do Is Dream」、「Bird Dog」、「Problems」などのヒット曲を連発した。優れたメロディーとハーモニーの調和から成る独創的なロックンロール・スタイルは、ザ・ビートルズや、ザ・ビーチ・ボーイズ、サイモン&ガーファンクル、ザ・ビー・ジーズ、ザ・ホリーズといった、のちのロック・ミュージシャンにに多大な影響を与えたと言われている。1960年にはWARNER BROS.レーベルに移籍し、兄弟自作による「Cathy's Clown」や、ブリルビルディングの名ポップ作曲家陣が書き下ろした「Walk Right Back」、「Crying In The Rain」といったポップ・ナンバーでヒットを残した。1973-1983年の間はそれぞれがソロ活動をし、1983-2006年の間には再結成して活動している。