The Beach Boys - Friends / Little Bird
1968 USA Oroginal 45rpm Record [CAPITOL/2160]
- Normaler Preis
- ¥2,200 JPY
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- Verkaufspreis
- ¥2,200 JPY
- Grundpreis
- pro
アメリカの1960年代のロックンロールとポップスを象徴する存在として知られる名グループ/ザ・ビーチ・ボーイズが、1968年4月8日にCAPITOLレーベルからリリースしたシングルです。
ブライアン・ウィルソン・プロデュースによる作品です。
Brian Wilson
ビルボード・ホット100チャートで最高47位、UKシングルチャートで最高25位を記録しました。
アルバム・タイトルになりました。
ブライアン・ウィルソン、カール・ウィルソン、デニス・ウィルソン、アル・ジャーディンらが書いた曲で、1968年3月13日にスタジオで録音されました。
最初のテイクは4/4タイムのリズムで録音されましたが、その直後、ブライアンはラジオでワルツのリズムが多くない事に気付き、曲を再編成しました。ブライアン・ウィルソンは、「私の意見では、「フレンズ」はワルツを生かし続けるのに良い方法だった。カールは以前に歌っていた。今、彼はこのカットをヘビーなボーカルパフォーマンスで先頭に立った」。ビーチボーイズの歴史家であるピーター・レウムは「「フレンズ」はワルツであり、バークリー音楽大学で学生に3/4タイムのリズムで書く方法を教える為の教材として使用している」と述べています。
ブライアンはアルバム『フレンズ』から、この曲をお気に入りに挙げています。
アカペラ・ミックスは、日本で起こった東北地方太平洋沖地震のチャリティーレコードとしてリリースされた「ドント・ファイト・ザ・シー」にカップリングされて出されました。
裏面もヒットしており、ビルボード・ホット100チャートで最高47位、UKシングルチャートで最高25位を記録しました。デニス・ウィルソンとスティフェン・カリニッチが、クレジットされていませんが、ブライアン・ウィルソンの助けを得て書かれた歌です。ブライアンはかつてこう語っています。「私は精神的にいっぱいいっぱいだったので、心を吹き飛ばす「リトル・バード」を私にくれました。彼は音楽メーカーとして遅咲きでした。彼は一生懸命でラフでしたが、彼の音楽は誰よりも洗練されていました。」
「リトル・バード」のアウトロ(楽曲の終わり部分)は、スマイル『アルバム』の為に、1966年にブライアン・ウィルソンが作曲した未完成の曲「チャイルド・イズ・ファザー・オブ・ザ・マン」(後に仕上げられたアルバム『スマイル』に完成バージョンが収録された)の音楽引用を特徴としています。
オリジナル・カンパニースリーブ付きです。
コンディション:VG(+)/VG(+) マトリックス番号:45-59400-T2 / 45-59214-G2 |
アーティスト【ザ・ビーチ・ボーイズ】
ロック&ポップ・グループ。ブライアン、デニス、カールのウィルソン兄弟と従兄弟のマイク・ラブ、友人のアル・ジャーディンの五人が、1961年にカリフォルニア州ホウソーンで結成したザ・ペンデルトンズ(The Pendletones)が前身。1961年にザ・ビーチ・ボーイズとグループ名をあらため、CANDIXレーベルに初録音後、1962年に大手CAPITOLレーベルと契約。初期の1962-1964年頃は「Surfin' Safari」「Surfin' U.S.A.」「I Get Around」といった“サーフ&ホットロッド”をテーマにしたロックンロールで人気を博す。初期は主にザ・フォー・フレッシュメンやジャン&ディーンのコーラス・スタイルと、チャック・ベリーのロックンロールをブレンドさせた独自のロックンロールとして影響力を持った。1964年の暮れ頃からリーダーのブライアン・ウィルソンはライヴ遠征には同行せず、スタジオワークに重点を置く様になり、クリエイティヴな作品作りやアルバムの制作に取り組み、1965年にはアルバム『Today!』と『Summer Days』を発表。ブライアンの情熱はさらに増し、1966年には遂にロック・アルバムの金字塔と呼ばれる名盤『Pet Sounds』を完成させ、同年にはこれまた傑作のシングル「Good Vibrations」を発表し、後世で高く評価されています。1965年からはブライアンに変わるツアーメンバーとしてブルース・ジョンストン(ブルース&テリーやザ・リップ・コーズ等を手がけた才能ある名人)が参加し、以降は正式なメンバーとして活動している。