Otis Redding - Respect / Ole Man Trouble
1965 USA Original 45rpm Record [VOLT/128]
- Normaler Preis
- ¥2,800 JPY
- Normaler Preis
-
- Verkaufspreis
- ¥2,800 JPY
- Grundpreis
- pro
ヒット曲の数々で60年代のソウル・ミュージックを代表する様になり、“ザ・キング・オブ・ソウル”や“ビッグ・オー”といった愛称でも親しまれるR&B~ソウル・シンガー/オーティス・レディングが、1965年にVOLTレーベルからリリースしたシングルです。スティーヴ・クロッパー・プロデュースによる作品で、ビルボード・ホット100チャートで最高35位、R&Bチャートで最高4位を記録しました。
オーティスが書いた曲で、元々はバラード曲だったそうです。歌詞は「男性は一日中働き、妻にお金を持ち帰り、その見返りとして彼女からの"尊敬"を要求する」という内容です。メンフィスのSTAXスタジオ録音によるブッカー・T&ザ・MGズ+ホーンセクションの演奏に乗せて、豪快なボーカルでソウルフルに歌い上げるサザン・ソウル・クラシックス!
アレサ・フランクリンが1967年にヒットさせる作品のオリジナル・バージョンでもあります。
裏面はバラードで、こちらも味わい深い名唱となる2サイダーです。
<参加ミュージシャンと録音場所+日時>
Otis Redding [Respect]
Wayne Jackson, Gene "Bowlegs" Miller, trumpet; Andrew Love, tenor sax; Floyd Newman, baritone sax; Isaac Hayes, Booker T. Jones, piano, organ; Steve Cropper, guitar; Donald "Duck" Dunn, electric bass; Al Jackson, drums; Otis Redding, Earl Sims, vocal.
Memphis, TN, July 9, 1965
---
Otis Redding [Ole Man Trouble]
Wayne Jackson, Gene "Bowlegs" Miller, trumpet; Andrew Love, tenor sax; Floyd Newman, baritone sax; Isaac Hayes, piano; Booker T. Jones, organ; Steve Cropper, guitar; Donald "Duck" Dunn, electric bass; Al Jackson, drums; Otis Redding, vocal.
Memphis, TN, July 27, 1965
コンディション:VG++/VG++ マトリックス番号:VLT-9108-11 AT / VLT-9178-11 AT |
アーティスト【オーティス・レディング】
R&B~ソウル・シンガー。サザン・ソウル。1941年ジョージア州ドウソン生まれで、人気絶頂期の1967年12月10日に飛行機事故により他界。享年26歳。“ザ・キング・オブ・ソウル”や、“ビッグ・オー”といった愛称でも親しまれる、60年代のソウル・ミュージックを代表する大物歌手。最初期にはザ・ヴァインヴィル・バプティスト・クアイア(The Vineville Baptist Choir)というゴスペル・グループで教会で歌い、その後R&B歌手に転向し、リトル・リチャードのオリジナル・ロード・バンド/ジ・アップセッターズ(The Upsetters)の歌手としても活動。それから間もなくロックハウス・レデイLング(Rockhouse Redding)という芸名でソロ歌手となり、1960年にザ・シューターズ(The Shooters)というグループの歌手としてTRANS WORLD, FINE ARTSレーベルに初録音。その後はソロ名義でALSHIRE, GERLAND, CONFEDERATE, ORBITレーベルにも録音を残す。1962年にメンフィスのVOLTレーベルと契約し、「These Arms of Mine」がナショナルヒットを記録。1963年には名門「アポロ・シアター」にも出演し、シングル「Security」、「Mr. Pitiful」、「Chained And Bound」、「I've Been Loving You Too Long」、「Respect」等を続々とヒットさせ、1965年には名盤『Otis Blue: Otis Redding Sings Soul』を発表。同年にロサンジェルスの「ウィスキー・ア・ゴー・ゴー」にも出演して西海岸での人気も獲得。1966年に傑作バラード「Try a Little Tenderness」を録音し、1967年には カーラ・トーマス とデュエットしたアルバム『King & Queen』もヒットを記録し、その後にはヨーロッパ・ツアーにも行き大成功を収めている。1967年には「モンタレー・ポップ・フェスティバル」にも出演し、強烈なライヴ・パフォーマンスでロック・ファンへのアプローチにも成功。そんな人気絶頂の1967年末に、オーティス・レディングとバーケイズのメンバー5人、マネージャー及びパイロットを含む合計8名の乗った自家用飛行機「ビーチクラフトモデル18」が、次の公演地であるウィスコンシン州マディソンに向かう途中、濃霧で滑走路を見失い近くのモノナ湖に墜落。トランペットのベン・コーリーを除く7人が死亡。オーティスの死後に発表された新作「Dock of the Bay」は、オーティス自身にとって最大のヒットととなる皮肉な結果となった。ローリング・ストーンの選ぶ「歴史上最も偉大な100人のシンガー」に於いては第8位に選定。