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Sixties 45

Jan & Dean - Dead Man's Curve / The New Girl In School

1964 USA Original 45rpm Record [LIBERTY/55672]

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60年代における多くのヒットで人気を博したジャン・ベリーとディーン・トーレンスによるポップ・ボーカル・デュオ/ジャン&ディーンが、1964年12月4日にLIBERTYレーベルからリリースしたシングルです。

ジャン・ベリー&ルウ・アドラー・プロデュースによる作品で、ビルボード・ホット100チャートで最高8位、USキャッシュボックスチャートで最高9位を記録しました。

サンタモニカにあったブライアン・ウィルソンの母親の家で、ブライアン・ウィルソン、アーティ・コーンフェルド、ロジャー・クリスチャン、ジャン・ベリーによって書かれた曲です。


Brian Wilson & Roger Christian

ロサンジェルスのノース・ウィッティアー・ドライヴ(N.Whittier Drive)に実際にある急なカーブ=通称「魔のカーブ」をモチーフにしており、そこでの公道レースを歌詞に盛り込んだホットロッド・ナンバーです。ティーネイジャーの事故死等をモチーフにした、通称:ティーネイジ・トレジャディー・ソングの代表作品として知られています。


Dead Man's Curve

バックはザ・レッキング・クルーによる演奏です。


The Wrecking Crew

1963年のアルバム『ドラッグ・シティー』に収録されたバージョンとは異なり、タイヤのスキール音やクラッシュ音が入るシングル・バージョンです。



1966年にはジャン・ベリー本人が自分のスティング・レイを、ノース・ウィッティア・ドライブのデッドマンズ・カーブ近くの駐車中に駐車していたトラックに衝突させるという、致命的な事故に巻き込まれたことでも知られています。


Jan Berry's Corvette Sting Ray

裏面はジャン・ベリー、ロジャー・クリスチャン、ブライアン・ウィルソン、ボブ・ノーバーグらが書いたボーカル・サーフ・ポップス・2サイダーです。

元々のタイトルは「ゴナ・ハッスル・ユー」で、ブライアン・ウィルソンが歌うデモ・バージョンをYouTubeで聴く事が出来ます。



ジャン&ディーンは後に「ゴナ・ハッスル・ユー」のタイトルでセルフカバーしており、そこではディーン・トーランスのリードに差し替えられており、シングルは1973年にレジェンダリー・マスクド・サーファーズ名義で出されています。



1964年にはガール・グループ/ザ・ピクシーズ・スリーのヒット曲「イッツ・サマータイム U. S. A.」の元ネタになったことも重要度としては高い一曲であります。



コンディション:VG(+)/VG(+)/RW/SOL
マトリックス番号LB-1811-2 D2 / LB-1810 RE1 A1


アーティスト【ジャン&ディーン】



ポップ・オーカル・デュオ。ロサンジェルス出身のジャン・ベリー(Jan Berry)が、友人バロン・アーニー・ギンズバーグ(Baron Arnie Ginsburg)とコンビを組み、ジャン&アーニーで1958年にARWINレーベルよりデビュー。その直後にアーニーではなく、ディーン・トーレンス(Dean Torrence)との新コンビ、ジャン&ディーンを結成して活動。1958-1963年の間にはDORE, CHALLENGEレーベルに録音を残し、ドゥーワップ・スタイルのマルチ・パート・ヴォーカルを取り入れた「Baby Talk」、「Heart & Soul」、「Linda」等をヒットさせており、この時期の作品はザ・ビーチ・ボーイズや、後のサーフ・コーラスにも影響を与えたと言われる。その後LIBERTYレーベルに移籍し、当時の若者文化を象徴するサーフィンやホット・ロッド、スケボー等をモチーフにした「Surf City」、「Drag City」、「Dead Man's Curve」、「The Little Old Lady from Pasadena」等を連続ヒットさせ人気を博しました。1965年以降はサーフ・ブームも収束し、1966年にはジャンは自らが歌った「Dead Man's Curve」(ビバリーヒルズに実在する“魔のカーブ”)で事故を起こしたり、紆余曲折あったものの活動を続け、ジャンが他界する2004年までコンビで活動している。またジャン・ベリーは裏方としても才能を発揮し、多数のアーティストのプロデュースやアレンジ、作曲等にも携わった。