Bill Haley & his Comets - R-O-C-K / The Saints Rock 'n Roll
1956 USA Original 45rpm Record [DECCA/9-29870]
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ロカビリー~ロックンロールの原型を作った偉人とされ“ロックンロールの父親”という愛称でも親しまれるロックンロール・シンガー、ソングライター、ギタリスト/ビル・ヘイリーが、1956年にDECCAレコードからリリースしたシングルです。
ビルボード・ホット100チャートで最高29位、ビルボード・R&Bチャートで最高15位を記録しました。
COLUMBIA配給の映画『ロック・アラウンド・ザ・クロック』に挿入されました。
Movie - Rock Around The Clock
ビル・ヘイリー、アレット・“ラスティ”・キーファー、およびルース・キーファーによって書かれた曲で、1955年9月22日にニューヨーク市のパイシャン・テンプル・スタジオで録音されました。新しい音楽のイディオムを確立する最前線にいるビル・ヘイリーとコメッツと共に、新しい音楽ジャンルとしての「ロックンロール」の出現をテーマにしています。歌詞には、ヨハン・シュトラウスが「ワルツを発見した」、W.C.ハンディが「ブルースを発見した」、ビル・ヘイリーによって「ロックンロール曲「クレイジー・マン、クレイジー」がクレイジー・ニュースとともに来た」と歌われています。この曲は、「ロック・アラウンド・ザ・クロック」の驚異的かつ革命的な成功の後にリリースされ、音楽的にロックンロール時代を定義する事を称賛しています。
裏面はビルボード・ホット100チャートで最高42位、UKシングルチャートで最高5位を記録した両面ヒットです。ポピュラーソング「聖者の行進」の改良作品で、こちらもスウィング感のあるジャンプ&ロックンロール・サウンドの2サイダー盤です。
コンディション:VG-/VG- マトリックス番号:45 88690 17 / 45 88692 18 |
アーティスト【ビル・ヘイリー】
ロカビリー~ロックンロール・シンガー、ソングライター、ギタリスト。1925年ミシガン州ハイランドパーク生まれで、1981年に死去。1946年にカントリー奏者としてキャリアをスタートさせ、1948年にビル・ヘイリー&ザ・フォー・エイセズ・オブ・ウェスターン・スウィング(Bill Haley and the Four Aces of Western Swing)名義でCOWBOYレーベルに初録音。1950年にはジョニー・クリフトン&ヒズ・ストリング・バンド(Johnny Clifton and His String Band)名義でCENTERレーベルに録音。同1950年にビル・ヘイリー&ザ・サドルメン(Bill Haley & the Saddlemen)名義でKEYSTONE, ATLANTIC, COWBOY, HOLIDAY, ESSEXレーベルに録音(リノ・ブラウン&ハー・バッカルーズ(Reno Browne and Her Buckaroos)名義の録音もあり)。1952年にグループ名をビル・ヘイリー&ヒズ・コメッツに変更し、1953年にESSEXレーベルに録音した「Crazy Man, Crazy」がヒットを記録。1954年に大手DECCAレーベルに移籍し発表した「Rock Around the Clock」は、翌1955年に公開された映画『Blackboard Jungle(邦題:暴力教室)』のテーマ曲として話題となり大ヒットを記録し、ロックンロールのブームを決定的なものとした。その後も同レーベルにて「See You Later, Alligator」や「Razzle-Dazzle」等、多くのヒットを放ち、1956年には自身らも出演した映画『Rock Around the Clock』と『Don't Knock the Rock』の2作が公開されている。カントリーミュージックに、ジャンプブルースやR&Bの要素を加えた新しい音楽を生み出し、ロカビリー~ロックンロールの原型を作った偉人の一人である。それ故に「ロックンロールの父親」として親しまれ、エルヴィス・プレスリーと並び、ロック史において最重要視されている。1960年代以降は主にヨーロッパやブラジル、オーストラリアなど海外を中心に活動し、1970年代にはアルコール中毒に陥って活動が困難となり、やがて脳腫瘍を患い1981年に死去。他界後の1987年にロックンロールの殿堂入りを果たした。